楽しいことが嫌いというわけでもなく、
テレビやネットでお笑いを観るのは好きだったりするけれど、
イベントやお祭り、パーティーなどに行くとなんだかシラケて楽しめないという人がいます。
たとえばディズニーランドに行けば、それなりに楽しいし、ミッキーも好き。
ただ、夜のパレードを見ても恍惚とした表情にはならないし、「あぁ、きれいだね」と思うくらい。
アイドルのライブに友人に誘われて一緒に行っても、キャーキャーと騒ぐ気になれず、一歩だけ気持ちが引き気味な感じがするので、楽しめているのかと聞かれればイエスなんだけど、みんなほど楽しめていないのかな、なんて思ってしまったり。
なんでみんなは、あんなに大はしゃぎできるんだろう。
冷静な自分は大人になった証拠なのか、それとも感動できない冷め切った人間なんだろうか。
みんなみたいにバカ騒ぎなんてしたくないから、これでいいんだ、という思い。
その反対に、みんなみたいに楽しめない私って、なんだか寂しい、という思い。
せっかくの楽しい場所にいるのに、私って「つまらない人間なのかもしれない」なんて、自分にダメ出ししたくなることもあるかもしれません。
イベント・お祭り・ライブにパーティー。周りはみんな楽しそうなのに、自分だけがシラケている。そんなとき、自分のことをあたかも第三者のように監視しているもうひとりの自分がいませんか?
そのもうひとりの自分は、みんなが盛り上がって無邪気にワイワイと楽しんでいたとしても、きちんとした人、正しい人、分別のある大人など「良い子であらねばらない」と思って自分で自分を監視していたりするのです。
それはもしかしたら、子どもの頃にしつけに厳しかったお母さんなど誰かの目や誰かの言葉がけを、今となっては自分が自分にやっていたりすることがありませんか?
「~~しちゃだめ!」とか、「~~しなさい!」なんて、当時のお母さんなどの口癖を、いつのまにか心の中で自分が自分に言っていたりすることもあるのです。もちろん、やりたくてやっているのではなくて、無意識にやってしまうのですよね。
にもかかわらず、シラケる自分はつまらない人間なんだと思い込み、私って楽しくない人なんだとか、みんなに好かれない、などと勘違いしていることがとても多いようです。
普段から優等生っぽいなんて人に言われることもあるかもしれませんが、ルールやマナーを当然のように守り、親切で丁寧、いい人でいることがとても大事だと思っているかもしれません。
誰かに言われた言葉を大切に持ち続けるなど、やさしくて、いつも相手のことを好きでありたいと思うような温かな心の持ち主かもしれません。
子どもの頃のしつけだけが原因とは言えないかもしれませんが、シラケてしまいやすい人は、自分で自分に厳しく、無邪気だったり(言葉は悪いですが)自分がバカになることを許せなかったりするようです。
さきほど「自分で自分を監視している」と書きましたが、まさにあなたの意識の矢印が自分自身に向けられ、「きちんとしなさい!」と言っているような状態が、その場を楽しめていないときのあなたかもしれません。
だとするならば、あなたの意識の矢印を、自分自身から別のものに向けてみると、「きちんとせねば感」がゆるめられたりするんですよね。
方法としては、たとえば目の前の誰かのマネをしてみるのもおすすめです。
ディズニーランドでミッキーに抱き着いて笑顔で写真を撮っている友だち。
パレードで踊っているドナルドに必死に手を振ってる人。
アイドルに黄色い声援を送っている誰か。
私にはできない、、、と思うかもしれませんが、それは意識の矢印が自分に向いている証拠かもしれません。
エイヤっと、その人と同じことをやってみるのは、意外と勇気がいるものです。
この「エイヤっ」ができないとき、心のどこかで、優等生であることがもっとも大事だとか、きちんとしていない私なんて許せない~~!!!と叫んでいるようなものかもしれませんよ。
それはそれで苦しいわけで。
きっと普段の生活の中でも自分にとても厳しくて、堅苦しい思いにがんじがらめになっていたりすることがあるんですよね。
カウンセリングでは、そんなあなたの優等生マインドを、少しずつゆるめたり手放すお手伝いをさせていただくこともあるんです。
優等生マインドを手放しても、劣等生になるわけじゃないのでご安心を
楽に生きていくためには、まだまだやれることがある、ということなんですよね。