カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
なんとなく気にくわない人がいる、その人から直接何か言われたわけでもなく、やられたわけでもなく。
そんなとき、何が気にくわないのか、よーく、よーく見て、考えて、「ここが気にくわない」と、言葉にして言ってみませんか?
たとえば、私の元同僚は、よく「女を武器にしている」とのことで、気に入らないという社内の女性の話を私にしてくれていました。男性の上司やお客様に「女っぽい」仕草や言葉遣いで取り入っているというのです。
当時の私は、そうかそうかと聞いていることしかできませんでした。
いまそのことを思い出してみて、私のその同僚は、女性らしさについて、「負けた」感じを受けていたのかな、と思います。
「負けた」感じというのは、自分もその魅力を持っているのだけれど、相手と比較してみると自分が劣っているように感じてしまっているときの感情のようです。
ということは、自分にもその魅力があるにも関わらず、まだ出し切っていない、と、言うこともできるのではないかと私は思います。
私の元同僚は、とても明るくサッパリした性格で、男女の隔てなく、誰にでも優しい人だったのですが、「女を武器にしている」人を悪く言っていたことを考えると、彼女は本当はもっともっと女性らしさを出せるはずなのに、出しきれていなくて、そこにもどかしさとともに嫉妬があったのではないかと思いました。
少年のような感じを受けるサッパリとした彼女ではあるものの、まだ見えていなかった魅力は、女性らしさだったのかな、と思っています。
さて、私の話になりますが、私もなんだか苦手だなと思う方がいました。
私よりいくつか年齢が上で、自営業をしている女性でした。
一緒に食事に行ったりするのですが、なんだか彼女とは合わない気がして、どうも好きではない、そして彼女が彼女自身の仕事やプライベートの話をし出すと、どうも楽しくなかったのてす。
これはいったいなんなのだろう、と思いました。
カウンセラーに質問したところ、何が嫌なのかよく観察してみたら?とアドバイスをもらいました。
彼女をじっくり観察するなんて、それさえ嫌だな、とも思ったのですが、私は自分自身の心に関する好奇心もあり、彼女と会う機会に彼女を観察することにしました。
どれだけ長い間観察しないといけないのだろうか、と最初は気分がふさいでいましたが、思い過ごしでした。そんなに時間をかけずに、私はハッとしました。
彼女の会話はいつも楽しそうで、毎日の仕事は彼女がやりたいことをやりたいように工夫し、どんどん新しいことを取り入れてやっている、ということを話してくれていました。
何もかも、彼女がやりたいようにやっていたように聞こえました。
そうか、、
私は彼女の自由なところが羨ましかったんだ、と思いました。
私は仕事もプライベートも決められた (と思っていた) レールの上をただ歩いているだけで、自由に楽しんでいるという実感がありませんでした。
自由に生きている、そんな彼女に私は嫉妬していたのだと思いました。
ということは、私も自由でいたいし、自由でいられるはずなのに、そのチャンスを活かせていないのかもしれないと思ったのです。
自由になる、というのは、生活を送っていくうえでは、やはり色々な制限もあろうかと思います。
でも、自由にはなれないと決めつけてしまうよりも、自由になると決めてしまい、そのために今は何ができるかと考えていく方が、自分というものを大切にしていると思うようになりました。
それ以来、私は「なんとなくこの人は苦手かもしれない」と思うことがあったら、何をそんなに苦手だと思っているのかを具体的に言葉にするようにしています。
「自分のことばかり話している」とか、「仕事場に来る服装にしては派手だ」とか、「上司から頼まれても残業を断るのがうまい」とか。
これはモヤモヤした嫌な気分を持ち続けるより、何が自分にとって嫌だと思っているのかがはっきりするので、私はこれだけでも少しスッキリします。
そして、その、言葉にしたことというのは、目の前の人はやれているけれど私はできていない、ということなのだと思うようにし、相手を嫉妬している場合ではない (自分が負けたと思っている場合ではない)、私の才能や魅力を使い惜しみしているのかもしれない、と思うようになりました。
ちなみに、さきほど例にあげた言葉から私が出し惜しみしているかもしれないと思ったことは、以下の通りです。
「自分のことばかり話している」は、自分の考えを人に表現すること、
「仕事場に来る服装にしては派手だ」は、自分の好きな服装を自信を持って着ること、
「上司から頼まれても残業を断るのがうまい」は、必要に応じて感じ良くノーを言うこと、
でした。
嫉妬は嫌な感情ではありますが、そこから自分の魅力や才能を知り、それらを活かしていくためのヒントを得られるときもあるかと私は思います。