カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
最近、親戚の集まりに行くことがありまして、そこで遠慮ばかりしているおじさんに私の目が釘付けになりました。
畳の部屋だったので、私が「座布団をどうぞ」と言ったところ、「いえいえ私は」と遠慮。
お茶を入れて、どうぞと差し出したところ、「どうぞお構いなく」とお茶に手をつけず。
もうずいぶん前に仕事を引退したお歳なのですが、きっと今までもずっとこうやって遠慮に遠慮を重ねて、とても人に気を使って、自分のことは差し置いて、とやってきた人なのかな、と想像しました。
でも、おじさんの足が痛くならないようにと座布団を差し出し、喉がかわいているかと思ってお茶を出したので、どれも「要らない」と言われた気がして、私は少し残念に思っていました。
すると、別のおじさんが急に大きな声で言いました。
「そういうときは、ありがたく受け取るもんなんだよ!」
同じくらいの年齢の方でも、全く違う生き方をしてきたのかな、などと思いました。
そして遠慮をしていたおじさんを見てみると、下を向いてもじもじしているように思えました。
自分に向けられた好意を急に受け取れと言われて困ってしまったのかもしれせん。
または、遠慮をすることの何が悪いんだと思っていたかもしれません。
遠慮することに慣れていると、誰かが自分のために好意でやってくれたことや、言ってくれたことを、そのまま受け取るのはとてもやりづらいものかなと思います。
自分が厚かましい人間になった気がするかもしれません。
自分は何かをやってもらえるほどの価値ある人間と思えず、申し訳ない気持ちになるかもしれません。
日本人としての常識が欠けていると思うかもしれません。
遠慮のかたまりのような人であっても、誰かの好意を無にしたいわけではないと思います。ただ、受け取ることに慣れていないことと、受け取ることによって、与えた側がとても嬉しい気持ちになるということに、気づいていないのかもしれないなと思いました。
人の好意というのは、誰かがあなたに贈る愛なのだと思いますが、
あなたに愛を受け取ってもらうと、それを与えた人はとても嬉しい気持ちになります。
それは先ほどの座布団やお茶もそうですが、言葉も同じです。
たとえば、ほめ言葉。
あなたが何かをほめてもらったときに、すぐにありがとうが言えるなら、あなたは受け取り上手さんですね。
「いえいえ、そんなこと・・・」
と、つい言ってしまいたくなるかもしれません。
私はずっとそうでした。
ほめ言葉はお世辞としか思えず、私はありがとうと言えませんでした。何か裏があるのではないか、ここですぐに受け取ってしまうと厚かましく思われるのではないか、ほめてもらえるような価値が無いことくらい自分が一番良く知っている、などと思っていました。
でも、反対の立場で、自分の心からのほめ言葉を人にそのまま受け取ってもらえて、ありがとう!とにこやかに言ってもらえたとき、あぁ、受け取ってもらえると、与えた側はこんなに喜びをもらえるんだ、と知りました。
誰かが「あなたに」愛を与える、その愛をあなたが受け取る、それにより与えた側が喜びを受け取る、というのもいいですし、
「あなたが」誰かに愛を与える、その愛を受け取ってもらい、それによりあなたが喜びを受け取る、というのも、どちらも素敵な愛の循環だなと私は思います。
ちなみに、ほめてもらったときや、何かをしてあげましょうかと申し出てもらったときに「ありがとう!」と言いづらいときもあるかと思います。そのようなときは、同時に「嬉しい」を付けてみるのをおすすめします。
万が一、心にもないお世辞だった(!)としても、あなたが「嬉しい!」と言うことで、相手の方は、何かいいことをした気分になり、まんざらでもない、と感じてくれるのではないでしょうか。
そして、相手が喜んでくれれば、あなたが「もしや厚かましいのでは」という思いからも自由になれるのではと私は思います。