カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
社会人は人間関係が大切だ、なんていいますよね。
周りからは人当たり良く過ごしているように見えるかもしれないけれど、実は苦痛だと思っている人もいますよね。
色んな人に良い顔をしていると、要領がいいとか、うまくやっている、なんて言われたりすることもあるかもしれません。
当の本人は、人に合わせるのに必死、という場合もあるのに、です。
たとえば会社の飲み会。
社員同士の繋がりを大事にしている職場では、飲み会も仕事のうち、などという考えがいまもあるかもしれませんね。
そんなとき、人からどう見られるのか、とか、感じ良くいられるかとか、人の目が気になって、言いたいことも言えず、ただ人の話を聞くだけになってしまうこともあるかもしれません。
自分だけ会話が弾まない気がしたり、人の輪に入れていないような気がして、なんだか自分ってダメだな、と思ったり、
あるいは、自分が話の中に入れていない気分を味わうのが嫌なために、わざと明るく振る舞ったりして、後でグッタリ疲れて、
なんだか虚しい、なんて思うかもしれません。
私は以前、相手が誰であっても、きちんとしていて好感を持ってもらわなければいけないと思っていた時期がありました。
ところが、人によって感じることは様々なので、良いと思ってくれる人も、良くないと思う人もいるわけです。
私は全ての人から良いと思われなければダメだと感じていたので、とても息苦しかったんです。
人に好かれるために何かをする、というのは、そのままの私ではダメ、という思いがベースにあるのだと思います。
そのままではダメだから、無理をして人に好かれようとする、心理学で言うところの補償行為の一つです。
補償行為は、続けていると、自分のことをいつも後回しにしてしまいます。
補償行為は、まず自分でもうやめよう、と思うことが必要だと私は思うのですが、
とはいえ、そう思えたとしても、事あるごとに、「これは人に好かれるかな?」「評価してもらえるかな?」という問いを、しょっちゅう自分に投げかけていることに気づくかもしれません。
なので、その度に、いやいや、人にどう見られるかは問題じゃない、自分らしくいられるかが大切なんだ、と、
「気づいて」、「やめる」、という繰り返しが、気楽に自分らしくなるためには大事なのではないかと私は思っています。
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