カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
私は小さい頃から父親とのスキンシップがとても少なかったと記憶しています。
昭和ひと桁生まれという父親の年代的にも、娘をギュッと抱きしめて愛情表現をするということが少なかったのかもしれませんが、
私はというと、父親とのスキンシップをとても求めていたように思います。
数少ない、けれど大切な思い出は、父と手を繋ぐことくらいでした。
小学校低学年の頃、夏休みに近所のプールに連れて行ってもらったとき、信号のない大通りを渡る際に父に手を繋いでもらったのが、自分が大切にされているように思い嬉しかったこと、
やはり小学生のとき、珍しく家から歩いて父と出かけることがあり、父が手を繋ぐために私に手を差し出してくれて、その大きな手のひらが嬉しくて、なんだか私にはもったいないな、と思った記憶と、
高校生のときに父が単身赴任で海外に行くことになり、その直前に初めて両親と私の3人だけで三浦半島に遊びに行き、父と二人で写真を撮ることになり、私は恐る恐る父と腕を組んでみたら、拒まられなくてホッとした、あぁ私は拒否されないんだ、と思ったのを覚えています。
本当は父に抱きしめて欲しいという気持ちがいつもあったように思いますが、叶えられていません。
そして、抱きしめても貰えなかったのだから、私は父に愛されなかったのだと思っていました。また、私を抱きしめたいと父に思わせてあげられなかったくらい価値の無い自分を呪い、父に申し訳ない気持ちがありました。
私は何十年も、父に愛されなかった感覚を抱えて暮らして来ました。
それは、いつまでたっても埋まらない心の隙間のようでした。
先日ふと、父親に抱きしめてもらえなかったことをこんなに長年思い続けているのであれば、
今さらだけれど父にお願いしてみようかなと思いました。
きっと父は驚くでしょうが、私をハグしてくれるだろうなと思ったのです。
思い立つとすぐ実行に移したくなるので、私はいつ父にそれを言いに実家に帰ろうかと予定を立てるつもりで、父に会ったときのことを想像してみました。
私「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど」
父「なんや、急に」
私「あのさ、突然で悪いんだけど、ハグしてもらえないかな?」
父「はぐ?」
私「そう、ギュッと抱きしめてもらえない?子どもの頃からずっとやって欲しかったんだよね」
父「・・・まぁ、おまえがそう言うなら、しゃぁないな、やったるか」
こんな感じで、きっとぎこちなく、父は私をハグしてくれるんだろうな、とニヤニヤしながら思っていました。
と、そのとき、父に抱きしめられている自分が、「なんだ、こんなものか」と思っているところが想像できました。
85歳の年老いた父ですが、見た目はなかなかのロマンスグレーです。でも、父に抱きしめて欲しかったのは、過去の私であって、今の私ではないのだな、とようやく気づきました。
そして、かつて父が私を愛してくれたことは色々あったのだろうということ、ただし唯一、私が欲しいやり方では愛してもらえなかったのだということ、そして、愛されていたのに、愛されなかったことにフォーカスし続けていたことを思いました。
そうか、愛されていたんだ。
今さらのように思った途端、もう父にハグしてほしい気持ちが消えていました。
せっかく久しぶりに実家に帰ろうかと思ったけど、やっぱりいいや、と私はスマホのカレンダーを閉じました。
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