人づきあいが嫌だと思う理由のひとつに、
誰かと会ったりメッセージのやり取りをした後、あんなことを言わなければ良かったなどと、後悔するのがしんどいということがあるかもしれません。
それを1人反省会と表現されることもありますよね。
何を反省するかは人にもよりますが、自分が発言したことで、誰かに不快な思いをさせてしまったんじゃないか、そのため自分のことをこんなふうに思われたんじゃないだろうかと悩まれる方がいらっしゃいます。
たとえば、友だち同士のAさんBさんCさんは、よくLINEグループでやり取りをしています。Aさんはあるとき、家族旅行をしたという話をしたのだけれど、あんな話はしなければ良かったと後から思いました。
(家族仲良く旅行に行ったなんて、自慢に思われたんじゃないかしら。)
またあるとき、3人がLINEで話していたときに、Bさんが資格試験に合格した話をしたので、Aさんは「すごいね!さすがBさんだわ。おめでとう。」とお祝いの言葉を伝えました。
あとからAさんは、あんな言い方をしなければ良かったと思いました。
(すごいとか、さすがとか、上から目線だったんじゃないかしら。それに、Bさんを褒めすぎたら、Cさんが気分を害したんじゃないかしら。)
このような場合、相手が気分を害した「ような気がする」のですが、本当に気分を害したかどうかは定かではありません。第三者からしたら、全くそんなことはないのではないかとも思うのではないでしょうか。
Aさんのように、人を大切にしたい、みんなを平等に扱いたい、みんなが楽しくいてほしいなど、他人の喜びを一生懸命に気をつけている心優しい人ほど、悪意なく発言しても「あんなことを言わなければ良かった。」と思うことがあるかもしれません。
みんなに優しくしたい気持ちが強すぎて、他人がどのような気分を味わうのかまで、背負ってしまうことがあるのかもしれません。
他人の感情は他人のもの。まずは、そこまで自分で何とかしようとしなくていいと、思ってみるのもいいかもしれませんね。
発言したことを後悔しないためには、後悔するようなことを言わなければいいのですが、それはなかなか難しいようです。
理由のひとつは、人間は完璧にはなれないから。
そしてもうひとつは、あなたが発言を後悔したときに、悪いのはその発言内容ではないことがあるからです。
では、何が悪さをしているのかというと、そもそもあなたが「自分は悪い」「自分は罰せられるにふさわしい」などと心のどこかで思っているかもしれないということなのです。すると、その色眼鏡を通して自分の発言を評価してしまうので、どんなに素晴らしいことを言っても、後悔すべきことに思えてしまうことがあるのです。
さきほどのAさんの話でいえば、
家族旅行で楽しかった経験を分かち合うことは、何も悪いことではないはずです。でも「自分は悪い」という色眼鏡で見てみると、楽しかった経験を話すなんて自慢じゃないか、と思えなくもないのです。
同様に、試験に合格したBさんを褒めたことも、友人として優しく温かな思いの表れだと思うのですが、ここでもまた「自分は悪い」という色眼鏡が登場すると、Bさんを持ち上げてCさんを下げているとか、色々とネガティブな見方ができてしまうのかもしれません。
つまり、他の誰からも「後悔すべき」と思われるようなことではないのに、自分への評価が悪い分、みんなを嫌な気分にさせていると感じてしまうのかもしれないのです。
1人反省会というのは、自分を嫌っていることが原因と言えるのではないでしょうか。
人に不快な思いをさせてしまったと思うとき、多くは不快な思いをさせていないのです。人は、それほどあなたの言葉一つ一つに敏感に反応しているわけではないと言えるかもしれません。周りの人たちの大らかさや包容力、愛情深さが、いつもそこにあるということに、気づこうと思うこと、そして感謝することが、自分嫌いをやめるための取っ掛かりになるのかもしれません。
そして自分を許せた分だけ、良い自分、可愛い自分、素敵な自分は、そう簡単に人を不快な思いにさせないだろうと思えるようになっていくのかもしれません。