え?そもそも自分を大切にして良いの?
私もかつて、そんなふうに思っていました。
自分なんて後回しにして、誰かのために頑張るとか、
たとえ形式だけでも(笑)滅私奉公しているように見せる必要があると信じていたんです。仕事でも、パートナーシップでも、友人関係も、親やきょうだいとの関係でも。
なので、自分を大切にしたほうがいいよと言われても、自分を大切にするとは、自己中心的なわがままな人間になることじゃないの?と、思っていたのです。
さらに、どうやったら自分を大切にしていることになるのか、分からないなぁと思っていました。
よくよく考えてみると、私が普段何か物事を決めるとき、
あの人はどうしたいのかな?
あの人はどうしてあげたら喜ぶのかな?
あの人が幸せになるためには、何を選ぶといいのかな?
なんてことばかり考えていて、これが他人軸などと呼ばれているようなものであるとは知る由もありませんでした。
もしあなたもそんなふうに思っているとしたら、誰かのために、自分の「何かをしたい」という気持ちを抑え込んできたのかもしれません。
だから、いつの間にか普段の生活の中で、私は何が好きで、私は何をしたいのか、という思考をすっ飛ばして、ぜんぶ「あの人はどうしたいのだろうか」ということを無意識に考えているのかもしれません。
自分を大切にするというのは、まずは「私はどうしたいのか?」と、自分に聞いてあげることなのかなと私は思っています。
そして、その答えにそって行動すればいいし、私がしたいことが周囲の人たちの望むこととあまりに違いがあるときは、じゃあどうするか?と、そこで考えればいいことなのかもしれません。
私は長らく自分の気持ちを無視し続けていたため、たとえば夫と今晩どこかで外食をしよう、という話になったとして、
夫が「どこのお店に行こうか?」と聞いてくれたとしたら、
まず私は「夫は」どこに行きたいのだろうかと考え、
もしそれが駅前の居酒屋だったとしたら、私がそこに行きたいのかどうかはさておき、「駅前の居酒屋はどう?」なんて夫に自分の行きたいお店であるかのように提案していたのです。
すると夫も嬉しそうに、「じゃぁそうしよう」なんて言ってくれるので、なんとなく私は彼の望みを叶えてあげられたような小さな満足感を感じていました。
しかし、そうするといつも私の望みは叶えられませんから、なんとなく物悲しい感じがしていました。私の気持ちが誰にも大切にされていないような感じでした。
あるときから、私はもっと自分を大切にしてみよう、すなわち誰かの気持ちを勝手に代弁するようなことはやめようと思いました。
自分を大切にしたら、もしかしたら何かいいことでもあるかもしれない、くらいの気持ちだったかもしれません。
とはいえ、そんな「自分を大切にする」思考回路はまったく慣れていないので、
いちいち自分の心の中で、「私は何をしたい?どこに行きたい?」と聞かなければなりませんでした。
3回に1回くらいは、私は私の気持ちを聞いてあげるのを忘れてしまうので、人の気持ちを勝手に代弁してしまったあとに、しまった!と気づき、あらためて私はどうしたいんだっけ?と自分に聞いてあげることを繰り返したりしていました。
人間は習慣の動物である、とも言われているように、
もともと慣れていないことであっても、繰り返しているうちに、私は私の気持ちを「わざわざ」聞いてあげなくても、自然と「こうしたいな」と感じられるようになっていきました。
そうやって「自分を大切にする」ことをやっていく中で一番驚いたことは、たとえば私が夫に今晩外食するお店は夫の好きな駅前の居酒屋ではなくて、このあいだから気になっていた新しいおしゃれなビストロだったとして、
おしゃれなお店が苦手でオッサン的な居酒屋の好きな夫ではあるけれど、
私が「あのビストロに行ってみたいな。」と言ってみると、たいてい夫は私の「行ってみたい」「やってみたい」をなんとか叶えてくれようとしてくれる、ということなのです。
私は私だけが、夫あるいは周囲の人に気遣って、その人たちの希望を叶えてあげなければと思っていたのは、とても自分勝手な考えだったということに気づいたんです。
人はみな、誰かの願いを叶えてあげたいと思っていて、お互いに「叶えてあげたい」気持ちと「叶えてもらって嬉しい」気持ちを交換しながら暮らしていくことが幸せなのかもしれないなぁ、と思ったりもします。
ということは、自分を大切にするということは、相手の気持ちを大切にすることでもあり、本当のwin/winの関係だったりするのかもしれません。