スーパー銭湯とか温泉に行くと、つい周りの人たちの「隠し方」に目が行ってしまいます。
上から下までタオルで隠す人。
下だけ隠す人。
全く隠さず堂々としている人。
以前の私は、全部隠すひと。
今の私は、まったく隠さないひと。
なんでこうなったのかな、と思うと、そこに自己嫌悪が関係しているんだなと思います。
そもそも上から下まで隠すのは、自分の体のあちこちについて、「ダメだな」「これじゃ恥ずかしいな」という思いがあって、それを人に指摘されたり、笑われたりするのが嫌なので、隠しているのです。
それは普段の生活でも同じで、私のいろいろについて、隠さねばならないと思って隠しまくってきました。
人見知りで恥ずかしがり屋の自分は、大人になってまでそんなに恥ずかしがり屋なのはおかしい、はずかしい、社会性が足りない、なんて思っていたので、わざと明るく人と接したりして、本来の自分を隠していました。
ぼーっとしていたときに、「怒っているの?」と友だちに言われたことをきっかけに、私って笑っていない限り怖い顔をしているんだと知ったので、そんなふうに人を不快にさせる自分は隠さねばと思い、いつでもへらへら笑っているようになりました。
ひとりは寂しいなと思っても、そんなことを思っているのはおこちゃまだなと思い、一人でどこへでも行くことで寂しくないアピールをしてきました。
本当の自分を隠しておけば安心で、誰にも指をさされることはないだろうと思っていましたが、私自身が自分にダメ出しをし続けていました。
自分にダメ出しをしていると、人も同じようにダメ出しをしてくると感じます。(これを心理学では投影といいます。)
本当は誰もダメ出しなんてしていないのに、みんなが私に「あなたって最低」と言うに決まっていると感じるのです。
だから、隠し続けなければと思うのです。
隠し続けることで、誰からも傷つけられないだろうと思うので、ラクだと思うかもしれません。
隠しておけば、自分のダメさ加減は誰にも知られないので、安心だと思うかもしれません。
でも、隠して、隠して、隠していると、周りの人たちは、私の何も知ってくれていないんだな、、、と、寂しくなったりするんです。
私って、孤独だな、と。
そもそもは、
自分で自分にダメ出しをする。→ 他人も自分にダメ出しをすると思い込む。→ より一層隠さなければと思う。
ということをやってきたからこそ、私が作り上げた孤独なのに、その孤独に苛まれて苦しくなるのは、なんだかおかしいですよね。
そんなわけで、自分にダメ出しをするのをやめようと思った時期がありました。
たぶん心理学を学び始めた頃でした。
そもそも、自分が何にダメ出しをしているのかは、自覚しているものと自覚していないものがあるかもしれませんが、私の場合、ほとんどが自覚していませんでした。
なので、何にダメ出しをしているのかな、という洗い出しが必要でした。
私って何にダメ出しをしているんだろう、、と、アンテナを立てておくと、無意識にダメ出しをしていた自分に気づくことがありました。
あ、またダメ出しをしている!あ、まただ!
そんなふうに気づくたびに、そのダメ出しはもうやめよう、、、と思いました。
そもそも、たいして重要でもないことなのに、必死になってダメ出ししていたことが多々あったのです。
ダメ出ししたときに気づきたいなとアンテナを張る。→こんなことにダメ出ししていたんだと気づく。→ 別にいいじゃん。そんな私でも。と思う。
こんな簡単なことの繰り返しだけでも、私の場合、相当多くのダメ出しをしなくてよくなりました。
残念ながらダメ出しゼロにはなっていませんが、だいぶ楽です。
気づくことができると、変えることができるのですね。
ダメ出しが減ると隠さなくてよくなり、隠さないと自分が知られている感じを受けるので、孤独感が緩和されます。
自分のことを隠すとすべてうまくいくと思っていましたが、実際は、隠さないと多くのことがうまくいくのかもしれません。