カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
先日Vリーグ・バレーボールの試合を観てきました。
私はVリーグ開催時期はよく試合を観に行きます。
そして、いつもうるっと涙が出そうなタイミングがあるのです。。
それは、試合の流れとは全く関係のないところなのですが、試合の前後にチームの応援団が対戦相手に「フレー!フレー!」と声援を送る「エールの交換」です。
自分達のチームを応援するのは当然として、対戦チーム、それも応援団どうしが相手を応援すると、胸に熱いものが込み上げてきます。
私はエールの交換の、いったい何にうるっとするのか考えてみました。
私が、相手チームの応援団にエールを送るとき、私は自分が平静だということに気づきました。
人の健闘を祈って応援することはどちらかというと得意かもしれません。
問題は、相手チームがこちらの応援団にエールを送ってくれるのをただ受け取る、というときでした。
私は応援を受け取る、相手からの祈り(少々大袈裟かもしれませんが) を受け取ることに反応して涙が出ていたようです。
それは日々の生活で自分が頑張っていること、努力していることを「あたりまえ」としてしまい、「頑張ってるね」と自分を認めるのを怠ってしまいがちなことにも関係しているのかもしれないと思いました。
心理学では無価値感と言ったりしますが、自分は褒められたり愛されたりするに値しない、だからもっと頑張っても当然、と思うのかもしれません。
そんな中でいざ大声で応援されると、(もちろんエールの交換は個人的な応援ではなくチームの応援ですが) 心が震えます。
心の奥では「頑張ってる」と認めて欲しい気持ちもあるんだろうな、と私は思いました。
「頑張るのがあたりまえ」と自分を奮い立たせようとしているのにも関わらず「認めて欲しい」という依存的な気持ちが同居していることに、どっちなんだ!と、ちょっと自分が可笑しくなりました。
そして、「認めて欲しい」気持ちは外に出さないように頑張って隠しているのかもしれない、とも思いました。
感情は隠してもなくなりません。
抑圧されてしまうだけだといいます。
認めて欲しい気持ちがあるのならば、もっと自分に素直に生きればいいのだなぁ、と私は思いました。
そして誰よりも自分を認めて欲しい人に認められ応援される自分でいたいと思いました。
それは自分自身なのだろうと思います。
もっと自分を応援していい、もっと自分を認めていい、もっともっと自分を承認しよう、と、そんなことを思った一日でした。
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