カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
最近恋愛していないな、とか、好きな人ができても私のことを好きになってくれないな、とか、どうも幸せなロマンスから遠ざかっているなぁと感じているとしたら、
それって、自分が何かいけないのかしらと思っていませんか?
自分に魅力がないのかもと思うのは悲しいですよね。
女性としての価値が低いのかな、とか、
そもそも人間として魅力が無いのかな、とか、
あるいは男運が無いのかな、とか、
いずれにしても、いったい何をどうすればいいのかわからず、どうせ何をしても無駄だろうなんて諦めてしまいそうになるかもしれません。
ロマンスとは大好きな人といるだけで無条件でウキウキすることかなと私は思うのですが、ロマンスから遠ざかっているとしたら、今の自分はそんな無条件ウキウキ状態を手に入れたらいけないような、それより前に何かを解決しなければ、と思ったりしているのかもしれないと私は思います。
例えば、ロマンスも欲しいがその前に目の前の大事な仕事が一段落するまで頑張らないといけない、とか、
大好きな人に出会いたいけれど、そんな素敵な人と釣り合う私になるためには、まずダイエットだ、とか、
私のこの性格を何とか変えてからでないと良い人に出会ったとしてもすぐに別れることになるかもしれない、とか。
まずやっておかなければ、ロマンスを手に入れてはいけない、
そんなことを考えて、頑張って一つ一つのやらねばならないリストをクリアして行っても、
次から次へとまた新しいやらねばならない事が増えていくのではないでしょうか。
それは、自分が誰か素敵な人に愛されるには、今のままでは不十分であり、もっと頑張らねばならないと思っているからなのかもしれません。
心とは不思議なもので、自分が思っていることを外の世界に映し出します。これを心理学では投影といいますが、
自分に頑張ることを要求する分だけ、人も同じ様に自分に対して、ロマンスを差し置いても頑張るということを求めているように思えてきます。
すると、自分が素のままでいることを周りの人たちは許さず、もっと頑張りなさい、もっと努力しなさい、そうでなければ愛しません、と言われているように感じたりするかもしれません。
愛する人と出会いたい、愛して欲しい、と思っているはずが、そう簡単には私を愛しません、という人たちを無自覚に自分の周りに作っているようなものかもしれません。
とはいえ、「あなたはそのままで十分愛されます」と言われたとしても、言葉通りに受け取るのは怖くて難しいかもしれません。だから苦しいのですよね。
そんなとき、「自分が」周りの人たちをあるがままで愛そうとしてみるのもいいかもしれません。
その度に相手の人に対して、「もっとこうすればこの人は愛されやすいだろうに」なんて思うかもしれません。
しかし、それらも投影という見方をすれば全て自分自身への批判の一部かもしれないので、
そんなあなたも可愛いわ、とか、
見方を変えればそれも魅力かもしれないとか、
それも含めてあなたは素敵な人だわとか、
そんなことを思いながら、周りの人に愛の眼差しを向けて行くことが、愛し愛されるロマンスを自分に許して行くことにつながるのではないかと私は思います。
ロマンスはもう、そこまでやってきているのかもしれません。自分に厳しくならずに、ウキウキしてしまう自分を楽しめますように。
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