カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
私はここ半年ほど中国の方とやり取りをすることが多くあります。
北京と東京の間で電話やチャットを使って会話をするのですが、とてもとても恐縮します。
会話は全て日本語なのですが、中国の方々の話す日本語はとても丁寧で、日本語ってこんなに美しい言葉だったんだ、、と気づかせて頂いています。
と同時に、私の話す日本語はなんだかいい加減で、なになにですよね〜と語尾が伸びたり、こうじゃないっすか?と、妙にくだけたりしていて、恥ずかしくなります。
その一方で、何十年も前に短期間の英会話スクールに通った時のことを思い出しました。
私はたどたどしく教科書に載っているような英語を口にしたところ、アメリカ人の先生に、なんでそんな言い方をするの?その言い方は丁寧だけど古いね、と言われ、ショックを受けました。
丁寧だけど古い、と言うのは、良くもあり悪くもあり、という意味だったかもしれませんが、
私がいま中国の若い女性の皆さんが、日本の伝統を受け継いで下さるような美しい日本語を話して下さるのを聞くと、
日本語に対する誠実さ、人としての美しさ、話し相手としての私への素直で温かい心を感じます。
私はといえば、長年使い慣れた言葉は簡単に変えることができません。
相手がとても丁寧にお話しして下さると、その言葉に乗っかっている大きな優しさに何とかして応えたい、という気持ちになります。
言葉づかいは変えられなくても、私の言葉に相手への感謝とか思いやりとか尊敬とか、そのようなものを何とかして乗せたいと、日々、もがいているところです。
その気持ちを言葉にするとしたら、
もっと愛を!
もっと愛を与えたい!!
だと思います。
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