カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越しくださり、どうもありがとうございます。
今日は大雨がニュースになっています。 どうか皆さまが安全にお過ごしになれますようにお祈りいたします。
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私は日常的に満員電車に乗ることが多くあります。
先日私の乗っていた電車が、前を走る電車と近づき過ぎたとのことで、走っては止まり、また走っては止まり、を繰り返していました。
・・・と、いきなり急停車!
電車は満員電車とはいえ微妙に人と人との間が空いていたため、私は急停車の勢いでヨロヨロっと人の隙間に倒れそうになりました。
そのときです。ガシッと手首を掴まれました。
「え?なに?」
一瞬の出来事にパニック。
私は私の手首を掴んでいる人と目が合いました。大きな目が印象的な、小柄な30代と思われる女性が真っ直ぐに私の目を見て、「大丈夫ですか?」と言ってくれました。
「あ、ありがとうございます」
突然のことに、私の心の中の爆発しそうな驚き具合とは全く見合わない、とてもアッサリしたお礼を申し上げました。
後から考えて、もっともっと感動を伝えたかった!と思いました。
そもそも満員電車の中は人と人との距離が近いものの、隣の人にとても無関心であったり、時には腕と腕が触れることさえはばかられるような気がします。
そんな人間同士の温かさも感じられないような満員電車の中、助けを求められているわけではないのに、自分から手を差し伸べるということを瞬時にやって下さったこの方は、愛を与え慣れているのかしら、と私は思いました。
助けが必要そうな人が目の前にいても、特に以前の私は何もできませんでした。
手を貸したとして、迷惑そうな顔をされたら嫌だな。
お手伝いすると申し出ても、たいして助けにならなかったら恥ずかしいな。
「私は助けなんて必要としていません!」と言われたら傷つくだろうな。
そんなネガテイブな思いが一瞬のうちに湧き上がってきて、やっぱりお手伝いは他の誰かにまかせよう、私はやめておこう、と、いつも思っていました。
しかし、これは心理学でいうところの投影というもので、実は私が、周りの人のことを私の好意を無にする人、私を傷つける人たちだと決めつけていたようです。
そのような投影をすると、もう周りの人たちは私が何かをして差し上げたところで、喜んでくれるはずがないのだ、としか思えません。そうすると怖くなってしまい、誰かを助けようなどとは思えるはずもありません。
私が周りの人たちを、私を拒否する人たちであると勝手に決めつけていただけだと気づいたときは、自分の一人芝居のような考えに、な~んだ、と力が抜けました。
今までの思いが単なる投影、そして勘違いならば、私が誰かへの好意を表現したら喜んでもらえるのかもしれない、私は拒否されないのかもしれない、そんなことを思うようになり、少しずつではあるものの、助けが必要そうな方には自分から声をかけてお手伝いを申し出ることができるようになりました。
話は戻り、電車の中で私の手首を掴んでくれた彼女は、自分が手を差し伸べることが誰かのためになる、ということを深く信用しているのだろうと思いました。そして、そのように自分を信頼できるようになるには、今までどれだけの人に愛を与え続けてきたのだろうか、と、私は彼女の愛の毎日に想像を巡らせたりしています。
心の法則は物理的な法則と逆であるといいます。例えばお金は使えば使うほど少なくなりますが、愛は与えれば与えるほど増えるというのです。
愛を与え続けてきたであろう彼女。いつか私もあのように自然に誰かに手を差し伸べられますように、と思いながら、あの満員電車で手首を掴まれたときの衝撃を思い出したりしています。