社会人ともなれば、それなりに人づきあいはできるし、気遣いもどちらかといえば得意。
笑顔でいることもできるから、
「いつも楽しそうだね」なんて言われることもあるかもしれません。
ところが、人に喜んでもらうことはできるけれど、自分は楽しくない、ということ、ありませんか?
人づきあいにおいて、心の中では全く楽しんでいないとき、私たちは「役割を演じている」という場合があります。
役割というのは、職場で言う部長さんとか店長さんなどの役職もあれば、お母さんお父さんというのも役割と言えるかもしれません。
表面的には人づきあいが得意だけれど、その実、自分の本当の姿は違うのに、と思うとしたら、あなたは
気をつかう人
やさしい人
楽しい人
おどけた人
場を明るくする人
などの、自分とは違う仮面をつけて、そういう人の役割を演じているのかもしれません。
私たちは誰でも、そのままの自分ではうまく愛せないと思うとき、仮面をかぶってまでも、その相手を愛そうとすることがあるようです。
たとえば、大切な人が目の前にいて、自分のことを優しくないと思っていると、そんな自分を隠して、優しい私の仮面を心がかぶることがあるのです。
つまり、あなたが演じるようになったのは、誰かを愛したかったから、なのかもしれません。
演じている人というのは、自分を隠すのが上手とも言えます。
周りはあなたが演じていることが分かりませんので、仮面をかぶったあなたを、あなた自身だと思うでしょう。
すると、本当の自分のことは誰にも分かってもらえないと思い、孤独を感じることがあるのです。
では、たとえば優しい人の仮面をかぶるようになった人が、本当に優しくないのかというと、そんなことはありません。
そこまでして人を愛したい人が、優しくないわけがないですよね。
つまり、仮面をかぶり演じてしまう人は、自身のことを悪い方に勘違いして(たとえば自分は優しくないなどと勘違いして)いると考えることができるのです。
勘違いしているから自分を隠して演じてしまうのだとすると、その勘違いをあらため、そのままの自分も悪くないと思えるようになると、演じる必要がなくなってくると考えることもできます。
自分をそのまま認める、つまり自己受容感(自己肯定感)を手に入れることが大切なのかもしれません。
自己受容感とは、良い子になったら褒めるとか、良い事をしたから、努力して何かを手に入れたから、自分という存在を受け入れるのではありません。
どんなあなたでも、そのまま受け入れると言ってもいいのかもしれません。
ちなみにあなたは、ご自身のことをどんな人だとお考えでしょうか?
特に自分のダメなところを、
「こんな◯◯な私はダメだわ…。」と思っていたとします。
そうしたら、こう言ってみていただきたいのです。
「そんは◯◯な私でも、いいんだよ。
いいよ、いいよ!大丈夫!」
認める言葉はなんでもいいんです。
「オッケー!」でも、「問題ないよ!」でもお好きな言葉(ただし肯定的な言葉)を使ってください。
たとえば、あなたが
「こんな気弱な私はダメだ」と思っていたとしたら、
「そんは気弱な私でもいいじゃん。
いいよ、いいよ。そんなの関係ないよ。
大丈夫だよ、気弱だって平気だってば!」
というような感じです。
できれば心を込めて、こんな私はダメだな、というお腹の底の嫌な気分が吹っ飛ぶくらいまで、自分に言ってあげてくださいね。
それまで「◯◯(例:気弱)な私」を、自分で責めていたのかもしれません。
その責めることを一切やめて、自分の100%味方になってあげてもらえませんでしょうか。
自分を認めてあげるのに抵抗があるとしたら、まずは口先だけでも構いません。
ダメな自分に寄り添ってあげられる一番の味方が、親友とかパートナーであってもいいのですが、最終的には、自分が自分の味方になって、全肯定してあげようと思えたら素晴らしいと思います。
あなたがあなたの最高の理解者になれたとき、人づきあいに仮面をかぶって演じる必要がなくなっていることに気づくかもしれません。
そして、仮面をかぶっていたあなたも、実はあなたの素の一面だったことに、気づかれることもあるようです。