とても仕事ができて、優しくて紳士的な上司。わからないことがあっても、聞けば丁寧に教えてくれるから、おかげで仕事のやり方もわかってきたし、仕事がしやすい毎日。部長だけどエラそうな態度もしないし、今一番尊敬できる人かもしれない。そうあなたが思っていたとします。
あるとき、同僚のA子さんが言いました。「ねぇねぇ、うちの部長、隣の部署のB課長と不倫してるんだって。」
それを聞いたあなたは、まさか、と思いました。
そんなはずはない。だってあんなに誠実で、頭も良くて、家族も大切にしていそうで、清潔で。。。そんなはずないのに、どうして???
すると、あんなに素晴らしいと思っていた上司が一転して信じられなくなり、あなたの頭の中は「どうして?」がいっぱいになったりして、どうにも理解に苦しむ、なんてことがあるかもしれません。
そりゃそうですよね。非の打ち所がない上司だから大好きだし、そんな人にブラックな部分があるなんて想像したくもないし、「うそだ~!!」と思いますよね。うわさ話が好きなA子さんの作り話じゃないかとか、B課長と仲良さそうに話していただけではないか?とか、色々と考えてしまうものです。
そりゃそうですよね。非の打ち所がない上司だから大好きだし、そんな人にブラックな部分があるなんて想像したくもないし、「うそだ~!!」と思いますよね。うわさ話が好きなA子さんの作り話じゃないかとか、B課長と仲良さそうに話していただけではないか?とか、色々と考えてしまうものです。
この人はいい人、ステキな人、誠実な人、あるいは先生や上司やお医者さんなどのように、世間的に認められている地位がある人など、清廉潔白な人であるはずなのに、そうではない話を見聞きすると、そんなことがあるはずがないと認められなかったり、「あなたともあろう人が、なぜ?」と怒りをおぼえることがあるかもしれません。
そして言葉には出さないかもしれないけれど、「その態度はあらためるべきだ」と心の中で思うかもしれません。
偶像崇拝という言葉があります。
神様ではないものを、さも神様であるかのように崇拝することですが、それは宗教の話だけではありません。
あの素晴らしい上司が不倫なんてするはずがない、というのも、偶像崇拝していると考えることもできるのです。
不倫は、もちろん良くないことではありますが、どんなに素晴らしい上司であったとしても、不倫をすることもあるかもしれないのです。
偶像崇拝は至る所で起こりえます。
美しくて女性らしい先輩が、ものすごく汚い言葉で上司の悪口を言っているのを聞いたけど、あれはおかしい、とか。
社長ともあろう人が、若い新人の女性社員にデレデレと鼻の下を伸ばすような態度はあらためるべきだ、とか。
もちろん一つ一つの事象は、あらためたほうが良さそうなものかもしれません。
でも、素晴らしい上司も、美しい先輩も、社長も、完璧な人間であるはずはないのですが、「不倫なんてしないはず」「汚い言葉でののしることはしないはず」「若い子に鼻の下をのばさないはず」と言って完璧を求めている、すなわち神様(人間ではなくて完璧な存在)であるかのように扱っていることになるかもしれないのです。
他人に完璧を求めやすい人は、人を信じたいという気持ちのある純粋さを持っている方であると私は思うのですが、とはいえ他人に対して「こうあるべき」という理想の枠を作りやすく、「こうであるに違いない」という期待をすると、相手がその期待に反すると傷ついてしまい、あなたが悲しい思いをすることも多いかもしれません。
誰しも人間であれば、いいところもあり悪いところもあり、優しいところもあり冷たくしてしまうこともあり、正しいこともすれば間違ったこともするものなので、それはその人の地位も見た目も何も関係ないのですよね。そんなふうに相手の人を人間として認めてあげるのは大切かもしれません。
「あの地位の人ならば完璧であるべきだ」のような考え方をしやすい人は、「私は完璧な人間ではないから、あのような地位は手に入れられない」と無意識のうちに自分の社会的成長などを妨げてしまうこともあるようです。
部長になんてなってしまったら、完璧にならなければならない。
そんなの無理。
ならばこれ以上仕事で頑張るのはやめて、万年平社員でいいか、、、などということになることも考えられるのです。
みんなただの人間。間違っても失敗しても、「そういうこともあるよね~」と思えると、自分もなにか間違ったり失敗しても、「そういうこともあるさ」と周りの人が言ってくれるはず、という安心感を得られるのかもしれません。