私たちは、いま目の前の母親が何を言っているのか、ということだけではなくて、
かつて母親が何を言っていて、どういう態度を取っていたのか、それにより自分はどうなることを期待されているのかを自分自身の中で解釈し、できればその(内なる)母親の望みを叶えてあげたいと思ったりしますよね。
私の母は、私が小さい頃から、がんばっていい学校に行って、いい会社に勤めて、そこでいい人と出会って結婚することが幸せだと言っていました。女性であっても定年まで勤め上げることがいいことだと思っているように私は感じていました。
なので、私は世間的にいいと言われるような会社に長らく勤めていましたが、それを辞めてカウンセラーになりたいと思うようになった頃は、母に何と言おうかとずいぶん悩みました。
「ここまでやってきたのにもったいないわね。」
「今までの努力が水の泡ね。」
きっとそう言われるだろうな、と思って、会社を辞めるということを、なかなか母に言い出せずにいたんです。
でもあるとき、だいぶ勇気を出して母に伝えたら、母からひとこと
「あら、いいじゃない。」
と言われて、ガクッと来たことがありました。
そんなことがあって、今は会社を辞めてカウンセラーをさせていただいていますが、
私が長年勤めた会社を辞めることや、海のものとも山のものともわからないカウンセラーなるものを仕事とすることについて、母が「あなたが好きなことをするのが一番よ。」と笑顔で応援してくれたことが、とても気に入らなくて、ムスッとしていた自分がいました。
応援してくれるのは嬉しいし、
私が好きな道に進むのをはばむものが何もないと思うことは喜ぶべきことでしたが、
「それ、話が違うんじゃないの?」と私は母に言いたかったのです。
母は私に、きちんとした会社を勤め上げて欲しかったんだよね?
なのに、どうしてそんなふうに、さも昔から「私はあなたが自由にやりたいことを見つけて、それに向かって進んでほしいと思っていたのよ。」みたいな顔ができるのかと、釈然としない思いがしていました。
あるとき実家に帰って母と他愛ないおしゃべりをしていたのですが、そういえばと思って母に聞いたんです。
お母さんは昔から「しっかりした会社でずっと働く」ということをいいと言っていたのに、どうして私がカウンセラーになることに賛成してくれたの?と。
すると母が言いました。
「たしかに昔は私もそう思ってたわね。でももう時代が違うじゃないの。
この時代、好きなことをして生きられるなら、それが一番よ。」
そう言われて、私は頭をガツンと殴られたようなショックを受けました。
当たり前のことだけれど、全く予想もしていなかったことでした。
それは、母は成長していた、ということでした。
昔の母は、高度成長期の人だったこともあり、一生懸命に働いて質実剛健的な人生を良しとしていたのだと思うのですが、
時代の流れとともに、母の価値観も変わったのでした。
しかし私の内なる母は、昔から完璧な母であって、これ以上成長することがあるなんて、思いもしなかった、、、ということに気づいたのでした。
そして思ったんです。そりゃ母だって成長するわな。
当時母がああ言ったから。
あのとき母があんな態度をとったから。
そうやって、昔の母を責める気持ちをもっていた自分にも気づきまして、
私自身も日々色々なことを学び成長しているわけで、
何十年も前に、あんなことを言ったとか、あんな態度を取った、などと言われたとしても、
それは当時の私にはそれしかできなかったのです、ごめんなさい、としか言えないな〜と思ったのです。
お母さんは完璧。
子どもの頃はそう思っていたけれど、そんなはず、ないんですよね。
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