カウンセリングサービスの帆南尚美です。
いつもありがとうございます。
相手の意向を先読みしては、相手の喜ぶ顔を見て自分も喜ぶ。
それがうまく回っているときはいいのですが、段々と自分のやっていることはただの「我慢」であり、彼だけを喜ばせて私は楽しくない、と思うようになってくると、鬱憤がたまってきます。
この人は私を我慢させる人。だから加害者。
私は我慢させられている人。だから被害者。
そんなふうに思ってしまうかもしれません。
でも、よくよく考えてみると、最初に「先読みして相手を喜ばせたい」と思ったのは私であり、彼がそうしてと私に頼んだわけではありませんでした。
私は小さい頃から、人が何をしたいと思っているのかな、何をすれば喜んでくれるのかな、といつも考えてきました。
そして、それをやってあげて喜んでくれると、自分が存在してもいいんだな、という感覚を持っていました。
ですから、その感覚を感じたいがために、私が勝手に自分の気持ちを抑え、我慢し、相手に合わせるということを選んでやってきたのです。
もちろん、子どもの頃から、「我慢しなさい」と言われ続けたということもあるかもしれませんが、今まさに目の前の彼に言われていたわけではなかったのです。
それなのに、私は相手が私に我慢させているような感じを受け、この人とはもうやっていけない、と思ってさよならをすることが多くありました。
あなたばかりいい思いをして、私はちっとも楽しくない。
そんな不満を持って伝えるさよならは、冷たいものだったと思います。
そんな私が当時もっと幸せになれたとしたら、それは相手だけではなくて自分をも喜ばせることをしてあげる、ということだったかもしれません。
自分のやりたいこと、楽しく思うこと、彼と一緒にしたいこと、そういうことを自由に表現して、私の望みを満たすと、二人でいてよかったな、と思うことができたのではないでしょうか。
もし今、我慢に我慢を重ねている人がいたとしたら、少し自分のことも楽しませてあげられますように。