カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
私の母は誕生日を祝うことを大切にしてくれる人で、私も私のきょうだいも、子どもの頃から誕生日は特別な一日でした。
女性の友人たちとは、いまだにお互いの誕生日にプレゼントを贈り合うことがありますが、パートナーに祝ってもらう誕生日は格別なものだと私は思います。
なぜなら、自分の特別に大切な日を、大好きな人も特別だと言ってくれる、すなわち、私のことを特別に大切だと言ってくれるのに等しいと思うからです。
ところが、パートナーが私の誕生日を祝ってくれるのが当たり前か、というと、そんなことはありません。
人は愛されたようにしか愛せない、といいます。
私は誕生日を温かく家族で祝うことを愛情表現の一つとして育てられましたが、
そうではない家も沢山あるはずです。
誕生日を祝うことをしない家に育った人が、私の誕生日を祝ってくれないからといって、私を愛していないという証拠ね!と怒るのは、ちょっと違うなぁと、私はようやく最近思うようになりました。
誕生日を祝うことと愛を表現することが、つながっていないだけなのかもしれないと私は思います。
それならば、つなげてあげようかな、とも思います。私自身のためにも、つながって欲しいとも思います。
私が相手の誕生日を祝って愛を表現してみる、そして生まれてきてくれてありがとう、と伝えてみる、そんなことをやってみたりします。
そして私の誕生日には、相手が誕生日に対して重きを置いていないことをきちんと理解し、
とはいえ、私はお祝いしてくれると、とても嬉しいし、愛を感じるの、ということを伝えてみます。
地道に地道に、伝えていく、、。
そんなことを続けていくことで、
「愛されたようにしか愛せない」なら、
今から愛してあげればいいと思うようになりました。
そして、私が私のやり方で愛してみると、
その愛してほしいやり方で私を愛してくれる日が来るかもしれません。
そんな日が来たら、泣いて私は喜ぶんだろうな、と想像しながら、すでに涙がこぼれそうになったりもします。
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