カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
心理学を学んでからというもの、本来の自分を大切にするということに私は重きを置いているのですが、
とはいえ、まったくの素の自分を何時もさらけ出して、すべてが上手くいくのかといえば、必ずしもそうではないような気もします。
例えば、親密になるまで時間がかかるという相手に対して、自分は親密感を出すのが得意だからと言って、いきなり大の親友のような顔をして近づくと引かれてしまうかもしれません。
もちろん、引かれてもいいといえば良いのですが、お互いに仲良くなるまで余計に時間がかかってしまうかもしれません。
そんなときは、相手が受け入れやすいように、相手のペースに合わせることができると良いのだろうなと思います。
ところが、相手のペースに合わせるということは、私が私のペースを崩すことになるのだから、それは私が我慢をしなければいけないってこと?・・・などと思ったりもします。
私の仕事仲間で、言葉づかいがとても丁寧な社会人の見本のような女性がいました。
私自身は公の席では丁寧な言葉を使うとしても、休み時間などには少しくだけた話し方をするほうが気が休まります。
そこで、彼女に私なりの親しげな話し方をしてみると、途端に引かれる気がするのです。
いくらこちらが親密感を出そうとしても、なかなか心の距離が縮まらないように思えました。
話す内容も仕事のことしかなく、彼女は「つまらない人」なのかと思っていました。
ある日、彼女がほかに仲良くしている女性がいるのを知り、その二人をこっそり観察してみたのです。
二人は和やかでとても親しげに話していたのですが、プライベートな話題に及んでも、言葉づかいの丁寧さは、仕事をしているときと同じようでした。
彼女は言葉づかいこそ丁寧でしたが、面白いことを沢山話していました。
理由は分かりませんが、彼女は言葉づかいを崩すことに抵抗があるだけなのかもしれない、と私は思いました。
そこで、私は彼女のやり方で近づいてみました。丁寧語を使いつつ、プライベートな話をしてみると、彼女は何年もの間私が見たことのなかったような明るい笑顔を返してくれました。
それ以来、彼女とは冗談も言い合えるようになりましたが、いまだに丁寧語です。
私のやり方にこだわっていたら、今もまだ彼女とは仕事の話しかできていなかったかもしれません。
相手のやり方に合わせることは、自分のやり方を我慢することではなく、より親密になるための近道であるのかもしれない、と私は思うようになりました。
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