そもそも私に褒められたって、嬉しくないでしょ、とも思っていました。
人づきあいを始め、パートナーシップであっても、また生きやすくなるためにも、人を褒めると良いと言われることがあります。
人は誰でも褒められれば嬉しいものです。
好意の返報性といいますが、私たちは好意を寄せられると、好意で返したくなります。
よって、あなたに褒められた人は、あなたに好意で返してくれることがあり、その人との関係性が良くなると考えることができるのです。
ところが、「人を褒めると良い」という意味は、それだけではないのです。
私たちの心には投影といって、自分がやっていることや思っていることが、他人も同じようにやっていると感じるしくみがあります。
もしあなたが誰かを褒めようとしたら、多くの場合、何を褒めるのかを考えるのではないでしょうか。
この人はいつも元気なところがいいな、とか
この人の良さは明るい笑顔だな、とか
洋服のセンスが抜群にいいな、とか。
つまり、相手の良いところはどこだろうかと、探すことになりますよね。
無意識にでも、人の良いところを探し、それから褒める(言葉に表す)ということをすると思います。
この「良いところを探す」ということをすると、私たちはそれを投影するので、「私が人の良いところを見て知っているように、他人も私の良いところを見てくれている。」というように感じるようになると考えられるのです。
私の良いところを、みんなが承認してくれているという感じが増えることで、自分には価値があるとか、なかなかいいところがあるぞ、などの自信が得られることがあるのです。
人を褒めているうちに、自分のことが好きになったり、自信を持てるようになるというのが、対人関係における「人を褒める」ということのミソなのです。
とはいえ、褒めるなんて上から目線みたいだとか、お世辞を言いたくないという方もいらっしゃるでしょう。
褒めるというのは、上述のように、相手の良いところを探し、認め、相手に伝えることだとしたら、それは世辞のように、他人の機嫌をとることが目的でもないし、ましてや上から目線で伝えるものでもないはずですよね。
誠実な気持ちで相手を見て褒めるとしたら、たとえ相手が目上の人であったとしても、あなたの褒め言葉は気持ちよく受け取ってもらえるのではないでしょうか。
また、相手によっては褒められるのが苦手な方もいらっしゃいます。
「どうせお世辞でしょ。」「なにか裏があるの?欲しいものでもあるの?」「いいえ、私はそれほどの者ではございません。」のように、受け取ってくれない人は、もちろんいらっしゃいます。
だとしても、私たちは、「誰でも褒められると嬉しい」のです。恥ずかしくて、あるいは自分の価値を受け取れなくて、あなたの褒め言葉を拒否する人がいたとしても、「受け取れないんだな~」と思っておくだけでいいと私は思うのです。
受け取ってくれない人であっても、あとでこっそり喜んでいることもあるはずです。
「あんなふうに褒めなければよかった。」とは思わず、ぜひ褒めるということを続けてみてくださいね。
私の場合、心が疲れてしんどいときなど、最近人を褒めていないな・・と気づくことがあります。
人を褒めることは愛を与えることでもあり、愛を与えると活力が感じられるようになるのは、これも投影のおかげなんですよ。