意見を求められても、つい言葉を飲み込んでしまう。 「言いたいことはあるけれど、どうせまた……」と、胸の奥がチリッとするような、情けなさが混じった残念な気持ちを感じることはありませんか?
なぜ、あんなにハキハキしていたあなたが、意見を言うのが怖くなってしまったのでしょうか。 そこには、かつてあなたが「良かれと思って」放った言葉で、誰かを怒らせてしまった苦い経験が隠れているのかもしれません。
「良かれ」と思って言ったのに、なぜ怒られたの?
例えば、新人の頃。 「この会社の年功序列な風潮、効率が悪いな」と感じて、先輩に「もっと実力主義に変えるべきですよね!」と進言したとします。 あなたは「会社を良くしたい」という純粋な意欲や、論理的な正解を伝えたつもりでした。なのに、返ってきたのは先輩からの厳しい叱責……。
そんな経験をすると、私たちはこう学習してしまいます。 「意見を言うと、目をつけられる」「私の考えは、ここでは価値がないんだ」と。
でも、ちょっと待ってください。 あなたが怒られたのは、決して「あなたの考えが間違っていたから」ではないのです。
怒った側の心の中にあった「痛み」
怒られたとき、私たちはつい「自分がダメだったんだ」と自分を責めるか、「あの人は分かってない!」と相手を責めるかの二択になりがちです。 でも、心理学的な視点で「怒った側の心」を覗いてみると、少し違う景色が見えてきます。
- 自分の生き方を否定されたように感じた: もし先輩が、不満を感じながらもその会社で長年我慢して頑張ってきた人だとしたら……。あなたの「正論」は、先輩が耐えてきた日々を「無駄だった」と突きつけるように響いてしまったのかもしれません。
- 「好きな場所」をけなされた悲しみ: 人は、大切に思っている場所(会社など)の欠点を指摘されると、まるで自分自身を攻撃されたような痛みを感じることがあります。
つまり、相手はあなたの意見の内容に怒ったのではなく、自分の「感情」を守るために、思わず怒りという盾を出してしまっただけかもしれないのです。
「いい人」ほど、我慢の罠にかかってしまう
怒られて意見を言えなくなる人は、実は相手の気持ちを察する力が強く、調和を重んじる優しい人です。 「目上の人を立てるべきだ」「波風を立てたくない」という配慮ができるからこそ、自分の言葉を飲み込み、我慢することを選んできたのではないでしょうか。
けれど、心理学では「我慢は怒りを作る」と言われています。 言いたいことを飲み込み続けると、それは心の奥底で「隠れた反発心」や「冷めた怒り」となってたまっていき、あなた自身の健やかさを奪ってしまうこともあるのです。
「戦うため」ではなく「繋がるため」の伝え方へ
かつての私(帆南)も、会社という戦場で、論理という「武器」を振りかざしては、周囲と衝突していた時期がありました。 当時は「正しいことを言って何が悪いの?」と思っていましたが、今なら分かります。
大切なのは、意見を「言わないこと」ではなく、「どう伝えるか」という視点のシフトです。
- 「正しさ」に「思いやり」を添える: 「ここがダメだ」という指摘だけで終わらせず、「もっと良くなると信じているからこそ、こう提案したい」という、相手への敬意をベースに提案を伝えてみませんか。
- 相手の感情を置いてきぼりにしない: 論理(ロジック)で相手を追い詰めるのではなく、相手が守りたかったプライドや愛情にも、少しだけ想像力を働かせてみてもいいかもしれませんね。
もう一度、あなたの声を響かせるために
かつて怒られた経験から、「意見を言わない」という固い決意をしてしまったあなたへ。 それは、あなたが自分を守るために一生懸命選んできた方法だったかもしれません。
でも、もう一人で戦わなくて大丈夫です。 あなたが持っている素晴らしい視点や知性は、伝え方ひとつで「誰かを攻撃する武器」から「未来を創る才能」に変わります。
もし、「どうしても言葉が喉に詰まってしまう」と感じるなら、それは潜在意識に刻まれた過去の傷が、あなたを守ろうとブレーキをかけているのかもしれません。 そんな時は、ぜひカウンセリングでそのブレーキを一緒に緩めていきませんか?
我慢を卒業して、自分も相手も大切にする「大人としての伝え方」を、一緒に見つけていきましょう。
カウンセリングのご予約は、以下をご覧くださいね。あなたとお話しできるのを楽しみに待っています。


