1. 気分よく過ごせる方法。あなたはもう、その方法を知っている
今日、そしてこの一年を気分良く過ごせる方法を、私たちは、すでに小学一年生のときに学んで知っています。
それは、挨拶です。
おはよう
さようなら
知らない人はいませんね。
でも、やらない人はたくさんいます。
なぜでしょう。
子どもの頃は、挨拶をすると褒められたことがありましたよね?
「挨拶できるなんて、えらいね~(にこにこ)」
「きちんとしているいい子だね~(ぱちぱち)」
これにより、私たちは「挨拶は相手を喜ばせるため」あるいは「挨拶するのは自分を良く見せるため」という感覚を持っている方もいらっしゃるかもしれません。
子ども時代は単純に褒められたい、いい子でいたい、という思いから挨拶をしてきた人であったとしても、成長するに従い、「別に褒められたいわけじゃないしね」とか「いい子でなくて結構」という思いに変わってきた方も多いのではないでしょうか。
すると、挨拶というのはどうしてもやらなければならないとき、例えば仕事のお客様に対してとか、こわい先輩に対してなどや、大切な友だちだけにしておけばいいや、という考えを持つようになるかもしれません。
実はこれは、ある大事なことが理解されていないから、なのかもしれません。
それは、挨拶は自分自身のためになるからやったほうがいい、ということなんです。
2. 挨拶が意味するもの
誰か知り合いとすれ違ったり、廊下などでバッタリ会っても挨拶をしないことがありますでしょうか。
そんなとき、挨拶をしない理由は色々あります。
・恥ずかしいから。
・挨拶する意味が分からないから。
・どうせ挨拶しても返ってこないから。
・あいつに挨拶したくないから。
挨拶をせずにいると、あなたはどんなことを感じますか?
なによ、無視してさ。
挨拶くらいして来いよ。
と、相手に軽く怒りを感じるときもあれば、
あーまた挨拶できなかった。
いま挨拶した方がよかったかな。
あの人私のこと気づいたかな、気づかなかったかな。
と、挨拶しなかった自分に軽く罪悪感を感じるときもあります。
どちらのケースも、なんとなーく嫌な気分になるんです。
このなんとなーく嫌な気分の正体はというと、あなたの、「愛さなかった罪悪感」だと私は考えています。
挨拶というのは、人と人が会ったときに、
・あなたの存在に気づきましたよ。
・私はあなたに悪意を持っていませんよ。
・あなたに会えて嬉しいですよ。
ということをミックスして伝える、簡単な「愛情表現」だと思うのです。
ということは、挨拶をしないということは、あなたが「愛情表現をしなかった」ということ。
「私の愛なんてあげないもんね」と態度で表明したことなんです。
人は愛を止めると、途端に罪悪感から嫌な気分になります。そしてその原因があなた以外の誰かにあると思うこともあります。(あいつが悪い、などと思ったりします。)
挨拶をしないと嫌な気分になるかもしれません。
嫌な気分になるのは、イヤなものです。
だからこそ、挨拶というのは、「自分がいい気分でいるためにするものなんだ」と知ってほしいのです。(つづきはこちらから⇩ぜひご覧くださいね。)
嫌な気分になるのは、イヤなものです。
だからこそ、挨拶というのは、「自分がいい気分でいるためにするものなんだ」と知ってほしいのです。(つづきはこちらから⇩ぜひご覧くださいね。)