先日、厚さが5センチくらいあるパンケーキで有名なカフェに行ったときのこと。
私はパンケーキが大好きなので、美味しそうなお店を探しては食べに行くのが趣味のひとつなのです。
人気メニューのパンケーキとコーヒーをお願いしました。
するとお店の人が、パンケーキは焼くのに20分くらいかかりますがよろしいですか?とのこと。
時間がかかるのは調査済みだったので、私は「はい、大丈夫です。」と答えました。
すると次に、コーヒーは先にお持ちしてもよろしいですか?と聞かれました。
パンケーキを20分間待っている間、コーヒーを先に飲みたいですか?という質問です。
先にコーヒーだけ出してもらうと、その約20分後にパンケーキが到着するわけですから、いざパンケーキを食べようとするときには、コーヒーは飲み干した後か、あるいは残っていたとしても冷めてしまっているはずですよね。
私の気持ちとしては、温かいコーヒーとパンケーキを一緒に楽しみたいと思いました。
でも考えました。
わざわざコーヒーを先に出してもいいかと聞くということは、お店としてはコーヒーを先に出してしまいたいのか?
パンケーキと一緒に出して欲しいと私がお願いすると、パンケーキを焼き上げるタイミングとコーヒーを淹れ終わるタイミングを合わせなければならないから、手間なのか?
にもかかわらず、ここで私がコーヒーはパンケーキと一緒にお願いしますと言うのは、お店の人にとって私は「面倒な客」になるのか?
う・・・・と、一瞬つまりました。
一緒に出して欲しい自分の気持ちに正直になるべきか、
コーヒーは先に出してしまいたい(と勝手に私が思っている)お店の気持ちをくむべきなのか?
ちょっと前までの私ならば、ここは迷うこともなく、コーヒーは先でいいですと答えていたと思うのです。
自分の気持ちを大切にしようか、などと悩むこともなく、相手がそうしたいなら、それでまぁいいか、と思っていました。
本当はいやだけど。
私の希望を伝えればいいだけの話ではありますが、
私はいつも、相手は実はこう思っているんじゃないだろうか?と考え、
ならば相手の希望通りにしてあげようと思っていました。
私の希望を言えば、相手はそれを叶えるために手間がかかる。
それでは申し訳ないから、自分のやりたいことはいつも後回しで結構ですと思っていたんですよね。
ある意味で、それは相手への優しさだったかもしれませんが、
でももうそれはやめました。
私には私のやりたいことがあって、
相手にもおそらく相手のやりたいことがあるわけで、
だとしたら、ただそれを提示し合えばいいことなんじゃないかと思ったのです。
結果的に自分の希望が叶わないときがあるかもしれないけれど、
まだ何も言わないうちから、あきらめて自分が何を欲しているのかを言わないというのは、
自分という存在に対してひどいことをしているなぁと思ったんです。
もっと自分の「こうしたい」を言ってもいい。
それは自分を大切にするということなんです。
私は、「コーヒーはパンケーキと一緒にお願いします。」と言いました。
お店の人は、「わかりました~」となんの抵抗もなく(あたりまえか)去っていきました。
私はホッと、小さくため息をつきました。
少し前、私がようやく自分を大切にしようと思い始めた頃は、
ひとつひとつの言葉を口にするにも、ものすごい力が必要だったことを思い出しました。
自分を大切にするためにその言葉を言うぞ!という気持ちと、いやいやそんなことを言うのはやめておけ、という気持ちの綱引き状態の中、
やっとのことで「コーヒーはパンケーキと一緒に」という言葉を引っ張り出しているような感じだったかなと思います。
たかがコーヒーが先か、パンケーキと一緒か、という話なのですが、
それは私が自分を大切に扱う練習の場だったのです。
練習というのは、繰り返せば自然とできるようになりますよね。
子どもの頃、自転車に乗り始めたときにはぎこちなかったけれど、
練習したら目をつぶってだって自転車をこぐことはできます。(目をつぶって乗るのは危険ですけど。)
同様に、自分を大切にすることも、練習が功を奏することはたくさんあります。
あなたは自分の気持ちに耳を傾けていますか?
自分の希望をきちんと相手に伝えていますか?
あなたという人を大切に扱っていますか?
あなたは大切に扱われるのに相応しい人です。
だから、大切にしてあげてくださいね。
あなたの希望をできる限り叶えてあげてくださいね。
そんなあなたを心から応援したいと私は思っています。