カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
明日は父の日ですね。
私にとって何年もの間、父の日は心の痛いものでした。
それは私の父への思いではなく、夫への申し訳ない気持ちでした。
あなたをお父さんにさせてあげられなくて、ごめんね。
8年の不妊治療をやめてから、そんなことをずっと思っていました。
夫をお父さんにさせてあげられなかった私は、女として不十分だな、と自分を責めまして、
どうか私と離婚して、私より若い誰かと再婚して、子どもを授かってくださいと夫にお願いしました。
夫は言いました。
子どもが授からなかったことは受け止めているから、そんなこと言わないでよ、と。
私は夫の言葉を信じませんでした。
私のことを気遣って、強がっているだけなんだろうな、本当は私と別れたいのだろうな、と思いました。
私は役所に行って離婚届の用紙を貰ってきました。
自分で記入できるところは全て書き込んで、いつでも夫に渡せる状態にしておきました。
でもその頃は、夫との会話がほとんどゼロに等しくて、離婚届を渡すタイミングをつかめませんでした。
私はどうすればいいのかわかりませんでした。
ちょうどカウンセラーになるために、カウンセリングサービス母体の神戸メンタルサービスというところで、私は心理学を学んでいました。
私はそこの平 準司代表に相談しました。
そしてひとことアドバイスをもらいました。
「与えつづけなさい」
私は言葉を失いました。
私は(子どもを)与えたかったけれど、与えられなかった、だからもう与えられるものは何もないと思っていました。
それでも、私は考え続けました。
与えるって何だろう。夫に与えていないとしたら、何だろう。
もし与えることがわかって、それを与えつくすことができたら、そのときは私はやることを全てやったという満足感とともに、夫に離婚届を渡せるのではないかとも思いました。
それならそれでいいや。
その後、無理にやさしく話しかけてみたり、楽しいフリをしてみたり、不自然な「与える」をいくつもいくつも試してみました。
でもどうも与えている実感が湧きませんでした。
あるとき夫の父親が急逝しました。
いつも心の強い夫が、一瞬肩を震わせて泣きました。声を抑えて、私に背中を見せ、たった一人で泣いていました。
それを見たとき、私は夫を独りにしていたのだと気づきました。
与えていたつもりが、何も与えられていなかったのかもしれないと思いました。
それと同時に、私が夫に与えたいことがわかりました。
私はこの人から孤独をなくしたいんだ。
それ以来、私は私のやり方で、私の信じる方法で、与えることを続けています。
ちょっと前に、部屋を片付けていたら、クリアファイルに入った離婚届が出てきました。
もうこれは要らないな。
そう思って、破り捨てました。
与えつづけることは、終わりがないな、と思います。もうこれでいい、と思うことがありません。
ときどき手抜きをしてしまい、いかんいかん、と自分を鼓舞しますが、
それが楽しくもあり、難しくもあります。
夫をお父さんにはさせてあげられなかったけれど、だからこその幸せを、彼が感じてもらえるように、私は与え続けたいと思っています。
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