みなさんは、察してくれない人にイラッとすることがありませんか?
職場でひとり仕事が一杯いっぱいなときに、みんなが横目で見てるだけで声もかけてくれない。
大丈夫?
何か手伝おうか?
私ならそう言うのに、みんな冷たいな、とか。
パートナーと久しぶりのデート。
会えて嬉しいとギュッと抱いてほしい。
たくさん話したい。
なのに、これからまだ仕事だからと
サクッとご飯食べて、じゃあね、って。
え、え、えーっ!
私の気持ちも察してほしいと思うと、つい不機嫌が顔に出てしまう。
これって私がわがままだから?
我慢しないといけないのに、文句を言いたくなる私がダメなの?
そんなふうに思うことも、あるかもしれません。
察してほしいという思いは、誰にでもあるもの。
でも、とくに「察してほしい」が強くなる人は、自分は我慢する側でいることが当たり前だった人なのかもしれません。
察してくれないときに、
何も言えずにグッとこらえると、
察してもらえていないことが、一大事に感じるんですよね。
こんなに頑張ってるのに
こんなに我慢してるのに
わかってもらえない。
私はこんなに察しているのに。
これまで、誰かのためを思って察してきた人ほど、
私はやってるのに、なんであなたはやってくれないの?という、悲しい気持ちでいっぱいになるんです。
でも、
「こうしてほしい」と素直に言えるならば、
悲しいも、寂しいも、さほど感じなくて済むようなのです。
察してほしいと思うあなたは、わがままなのではありません。
本当は、大切にしてほしかっただけなのかもしれません。
だから、「察してよ」と我慢する代わりに、
「私はこうしてもらえたら嬉しいな」
と少しずつ伝えられるようになれたら、
人とのつながり方も、少しずつ変わっていくのかもしれませんね。


