私たちは自分が考えたり、やっていることが正しいと思うし、正しいと信じたい気持ちがあると思うのですが、
最近面白いなと思ったことの一つに、自分は愛だと考えてやっていることでも、実はエゴだったということがありました。
人生の幕引き、ということを考えたとき、私にはひとつの強い思いがありました。
それは、夫より5分でいいから長生きをしたい、というものでした。
(念のため、夫も私も今は大変元気で、ピンピンしています。)
夫とは以前は私も色々とありましたが、今はとても仲が良くなりまして、
彼を大切にしたいし、大切にしています。
5分でいいから彼より長生きをしたいというのは、私が先に死んでしまったとしたら彼は大変悲しむだろうから、そんな思いを夫にさせたくない、と思ったからなんです。
彼を悲しませるくらいなら、私が頑張って何歳までも生きて、彼が天国に旅立つのを見届けよう。
それは私の人生最後の、彼に対する愛の表現かな、などとずっと考えていました。
ところがつい先日、それは私のエゴなんじゃないかと気づいたんですよね。
まぁエゴといいますか、彼を見くびっているといいますか。
どういうことかと言うと、私が先に死んでしまったとして、確かに彼は悲しんでくれるかもしれないけれど、だからといって立ち直れないわけではないんです。
彼はそれでもまた前を向いて生きていくはず、という点において、私が彼を信頼していなかったので、悲嘆にくれたまま辛く悲しい余生になるのではないか、と心配していたのです。
それではあまりに可哀そうだから、私のほうが5分でいいから長生きをしよう、なんて思っていたのでした。
そんなふうに、夫を信頼していないことが、彼への愛であるはずがないな、と思い直しました。
夫は何があっても、必ず立ち直るチカラを持っているはずだ、と思ってみると、
だとしたら私のほうが長生きをしてあげよう、なんて余計なお世話だし、そんなことに意識を向けながら生きていくのは、私自身にとって、なんだかつまらないなと思うようになりました。
そんなわけで、今では夫と私、どちらが長生きしてもどうにかなるでしょうから、そんなことを心配するのはやめることにしました。
心の足かせが一つなくなったようで、気分がラクになりました。
彼への愛だと思ってやっていることが、実は愛ではないことは、きっと他にもいろいろとあるのかもしれません。
夫だけではなく、親やきょうだい、友人たち、私を取り巻くたくさんの人たちに対しても、私が愛と信じてやろうとしていることについて、愛の皮をかぶったエゴに騙されないようにしたい、と思っています。
それは本当に愛なのか?
自分への問いは、これからも続きます。
❤今年一年ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。❤