当たり前すぎていた親の態度や子育て法は、たまにおかしいなと思ったことはあっても、ほとんど疑問を持つことがなかったのに、一度でもこれはなんだ?うちが超絶おかしいのか?と思った途端に、階段を転げ落ちるように親の正しさが崩れ去ってしまうことがあるかもしれません。
小さい頃からあんなことも言われた。
こんなこともやらされた。
ものすごく厳しくされた。
怖い思いをさせられた。
本当はあれは全部やらなくてもよかった事かもしれないのに。
子どもの成長を望む親なら、あれはやるべきじゃなかったんじゃないか。
とんでもない親に育てられてしまった。
そう思うにつれ、メラメラと怒りを感じるかもしれませんし、こんな親のもとに生まれた運命を呪いたくなるかもしれません。
それほどまでの怒りなどを感じるのは、親との間でずっと感じていた悲しさや寂しさが、もしかしたら自分に非があるんじゃないかと思っていたのに、実は親が悪かったんじゃないか!騙された気分だし自分がかわいそうだ、という思いかもしれません。
また、あんなに子ども時代にしんどい思いをさせられた親に対して、どうしてくれるんだ?という怒りかもしれません。
あるいは、あの親にあんなふうに育てられたばかりに、今の私はこんな性格になってしまったじゃないか、とか、今この社会で生きづらいじゃないか、という、いまさらどうにもならないけれど、どうしてくれるんだ!という思いかもしれません。
本当に、今さら親を取り替えられないし、これまでの年月は取り返すことはできませんよね。
もちろんそんなことは、みんな分かっていることなんだけれど、どうにも損したような気がすることもあるかもしれません。
少し前に流行った言葉で言えば、親ガチャ失敗ということなんでしょうか。
さて、こういうお話は本当によく伺うことがあるのですが、親に怒りがあるとか、人生いまひとつ明るくないとおっしゃいながらも、日々の生活をなんとか前向きに進もうとされている方は、本当に頑張り屋さんで、すごいなー素晴らしいなーと心から思うことがあります。
そしてそういう方は、親に怒りがあると言いつつも、こんなことを言っている自分が嫌なんですと、本当はなんとか親に良い気分で向き合えないものかと思っていらっしゃるのを目の当たりにすると、この方はどこまでも思いやりが深くて愛情一杯なんだなと感じます。
ちょっと(だいぶ?)これはひどいんじゃないの?という親の元に生まれ育ってしまったばかりに身につけてしまった、物のとらえ方や考え方について、どうしてくれるんだという怒りを感じることは多々あるかと思うのですが、
一方で、あなたのその思いやり深くて愛情あふれる人間性もまた、その親御さんあってのことだった、、、ということに気づかれたことがありますか?認めたくはないかもしれませんが。
親のことで苦しんでいらっしゃるとおっしゃる方々と接するにつけ、なんと美しくまっすぐに人を愛したいと思っていらっしゃるのだろうと感動することが私には多くあります。
恵まれていて、愛情いっぱいのご家庭に育っていたならば、もしかしたら手に入れることがなかったのかは分かりませんが、人の心の細かなひだまで理解するその繊細さ、人としての美しさは、そのご苦労があったからこそではないでしょうか。
もちろん幼少期からの苦しみは無かったほうが良かったというのは、その通りかもしれません。
そして、恨みつらみもあると思います。
あんなにしんどい思いをして手に入れるくらいなら、素晴らしい人間性なんていらなかったわ、と思うかもしれません。
ただ、その美しい心を「こんなものは要らなかった」と思って放り投げれば価値のないものになってしまいますが、大切に育てて、幼少期には手に入れられなかったような、人の思いやりにあふれた日常を引き寄せる材料にすることもできるのではないかと私は思っています。