カウンセリングサービスの帆南尚美です。
いつもありがとうございます。仕事そのものは好きなんだけど、その職場の人間関係がうっとうしいなということがあるかもしれません。
なかでも、何の気なしに自分が話したことが、隣のそのまた隣の部署の人まで知れ渡っていたことに気づいたりすると、ここの人たちはなんてうわさ好きなんだろうとウンザリするかもしれません。
自分の話がそのまま伝わっていればまだしも、尾ひれが付いて、話の内容が変わっていたりします。そんなこと言ってないし!と怒りたくなるかもしれません。
あるいは、自分の言ったことが生意気だと誰それさんが話していたよ、と、自分への悪い評価までくっついて話が自分の耳に戻って来たりします。
いつもは感じのいいあの人が、影では私のことをそんなふうに言っていたのかと、ショックを受けることもあるかもしれません。
そんな職場は精神衛生上よろしくないし、自分が何か言うと人のうわさ話がひとつ増えるだけだから、もう何も話すものか、仕事上の話以外は口にするものかと思うこともあるかもしれません。
または、どうせ悪いうわさになるなら、もう何でもかんでも思ったことを言ってやれ、どうせ私は嫌われ者だ、などと思う人もいるかもしれません。
そもそもうわさ話が蔓延するような職場は珍しいのかというと、そんなことはないと私は思います。
どこに行っても、人はうわさ話が好きだし、うわさ話には尾ひれが付くものです。
それは必ずしも悪意があるときばかりではありません。
子どもの頃、伝言ゲームというのをやったことがありますでしょうか。
列の先頭の人が後ろの人に、例えば「昨日の朝ごはんはパンと目玉焼きとフルーツを食べました。」と耳打ちして、それを列の次の人に順繰りに耳打ちしていきます。
それぞれの人は正しく伝えているつもりでも、列の最後尾の人まで伝わった内容は、例えば「昨日は朝は白ごはんで、お昼はパンでした。」のように、変わってしまうことが多々あるものですよね。
うわさ話も同様に、誰かから聞いたことをそのまま人に伝えたつもりでも、内容が変わっていることはよくあるし、必ずしもそこに悪意はありません。
ということは、うわさ話が好きな人びとだったり、うわさ話に尾ひれが付いて話が変わってしまったりするのは、職場のように複数の人が関わっている環境においては仕方のないことであって、そんなものだよね、人間だもの、と思っておくくらいで丁度いいのではないかと私は思います。
では、うわさ話に乗じて、自分への悪い評判が耳に入ってきたときはどうでしょうか?
いつもは笑顔で話している人が、実は自分のことを悪く言っていたと知るのは気分のいいものではないですよね。
ただし、ここでも伝言ゲームのように、いまあなたの耳まで届いた情報は、実際にその人が言った内容と同じかどうかはわからないものです。
あなたに耳打ちした人が、「私、その人から直接聞いたから間違いないわよ。」と言ったとしても、今まさにそれを言っている人の感じ方だったり理解の仕方などが事実を悪意なくねじ曲げてしまうことは少なからずあることでしょう。
何を言いたいかと言うと、事実はわからないということなんです。
あなたに対して誰かがどこかで何かを言ったかもしれないけれど、それが本当なのか、もしその言葉そのものは本当だったとしても、言葉の裏にあった思いのようなものは、人を介しては伝わってこないので、わからないのです。
もっと言ってしまうと、目の前で直接自分に言われている事でさえ、私たちは言葉を発した人の思いをそのまま受け取ることは難しく、誰でも自分のいいように解釈してしまうことが多いですよね。
うわさ話は、それを信じて一喜一憂することに使うと、ろくな気分になりません。
なるほど、そんな話が出回っていて、人びとはそんなに興味を持っているんだな、と、達観するくらいが良いのかもしれません。
とはいえ自分に関するうわさ話が気になって仕方がないという場合、他人にうわさ話を禁ずることもできないわけですから、自分の物事の捉え方を見直してみるのもいいかもしれません。
誰かが自分の悪口を言っているということに対して、動揺したり嫌な気分になったりするのは、自分が自分をそもそも良いものだと思っていないことがあるのかもしれません。
人に何かを指摘されると、やはり自分はダメなんだなと、自分の価値の無さを念押しされたようで、いたたまれなくなるのかもしれません。
自分が好きになれない自分自身を、できれば他人には認めてほしいな、という思いもあるのかもしれません。
しかしそのように、自分のことを自分では価値あるものと思わないけれど自分以外の誰かには認めて欲しいとすると、自分の気分の良し悪しを人に決めてもらおうとすることかもしれず、相手によって、またはその時々によって上手くいく時と上手くいかないときがまちまちで、心の安定を得にくいのではないでしょうか。
自分のことを、あることないこと言われて気分が悪いというときは、自分で自分の価値を認める必要があるのかもしれません。