デートにおしゃれしてパンプスを履いていったのに、いきなり海辺を散歩しようと砂浜を歩かされたり。
LINEで連絡するのも、いつもあなたから。
彼からはあなたが送った質問に返事が来る程度で、いつも事務的。
彼のことが好きだから、彼の言う通りにしているし、彼の都合に合わせてあげてるし、私からいつも連絡しているけれど。
ふと寂しくなることもありますよね。
なんだか私ばっかりだな。
好きだと思って相手を大切にしているのは私だけなんじゃないかな、って。
私って軽く扱われているんじゃないかと思ったり、私のことなんて、たいして好きじゃないんじゃないかしら、好きならもっと大切にしてくれるはず。
私が彼の言う通りにしてあげているから、彼は私といるだけで、本当は好きでもなんでもなかったりして。
好きという気持ちが大きさで測れるならば、私が彼を好きな気持ちは気球くらいあるけど、彼が私を好きなのは、お祭りで売ってる水ヨーヨーくらいな気がする。
これって不公平じゃんっ!!!
私たちは誰かを好きになって、その人を大切にしたいと思ったときに、どのように相手を扱うことが「大切にするということ」だと思っているのかは、人によって異なります。
ある人は、相手の言うことを何でも「いいよ」と肯定してあげることだと思うかもしれませんし、
ある人は、とにかく豪華なプレゼントを買ってあげることだと思うかもしれません。
またある人は、一緒に過ごす時間を楽しくワクワクさせてあげることだと思うかもしれません。
なぜ人によって異なるのかというと、多くの場合、私たちは子どもの頃から自分が愛されたと思う方法で、人を愛してあげようとするからかもしれません。
自分がやってもらって嬉しかったとか、やってもらえずに悲しかったから、自分は好きな人にやってあげようと思ったとか。
そうやって私たちは皆、自分が「これこそが愛することだ」と信じている方法を相手に差し出すのかもしれません。
そして相手が私を大切にしてくれる方法もまた、私があなたにやっているのと同じ方法で返してほしいと思っていたりします。
だってそれが愛してくれるということでしょ?と信じているからでしょう。
私たちはたいてい、私が愛しているように愛してほしいと思うものかもしれないのです。
ということで、私たちは誰でも、これが相手を大切にすることだとか、喜ばせることだなどと思って行動し言葉を発します。
それと同様に、相手も相手の尺度で、これがあなたを大切にすることだとか、喜ばせることだなどと思って行動し言葉を発します。
その尺度が同じならばいいのですが、同じではないことが多いので、あなたが一生懸命に愛だと思ってやっていることがたいして有り難そうにされなかったり、逆に相手の愛が愛だと気づかないので、何でこの人はいつもこうなんだ?と不満に思ってしまうこともあるでしょう。
もちろん暴力や暴言などは論外ですが、
こんなことをする(言う)なんて、私を大切に思っていないんじゃないの?自分勝手なんじゃないの?と思うときには、自分の尺度で相手の言動を理解しようとしてしまっているのかもしれません。
とはいえ、相手が何を愛だと感じるのかを理解するのは難しいことです。
なので、自分とは違う考え方かもしれないとか、彼は彼なりに私を愛そうとしてくれているはず、などと思っておくことは大切ですが、
それ以上に大切なのは、あなたはあなたが愛したいように愛することだと私は思うのです。
愛情たっぷりな人は、相手のためだと思うとつい無理をしたり、我慢したり、背伸びしたりしがちかと思うのですが、そうすると相手からもそれに見合ったことをやってもらわないと悲しくなりませんか?
私ばっかり愛情をかけている、なんて感じるのは、そういうときかもしれません。
ところが、あなたが「これをやってあげたいからやる」ということにこだわるようになって、しかも「やってあげたほうがいいかもしれないけど無理」とか、「やりたくない」ということがあったら、相手にやんわりと伝えられるようになると、恋愛はとてもラクで楽しくなっていくのではないでしょうか。
自分が愛したいように愛せるようになると、相手もきっと愛したいように私を愛してくれているんだろうな、と思えることが多いようです。
振り回される恋愛ではなくて、お互いに自分の愛し方で愛し、愛されていることを感じられる、自然体で楽ちんな恋愛ができるといいですね。