せっかく彼とのデートでおしゃれをしたのに、
彼が連れて行ってくれたのは、町の定食屋や、古ぼけた居酒屋だった、なんていうとき、
みなさんはどう思いますか?
わぁ、彼の行きつけのお店に連れてきてくれて嬉しい❤ と思うか
ざけんなよ、こっちはおしゃれして来てるのに、なんでここなわけ?と思うか。
ま、ざけんなよ、とまでは思わなくても、
なんだかちょっと雑に扱われたようで悲しくなったり、
私のことは、少し値の張るレストランに連れていこうと思わない程度なのね、と思ったり、
私にはお金を使いたくないのかな、とか
彼の愛情を疑いたくなるような考えが、たくさん浮かんでくるかもしれません。
そんなとき、なぜこのお店なの?と彼に聞いてみることができると、
「え、だってここの店、うまいからさ。」なんていう答えが彼の口から出てくると、
そっかー。彼は自分が美味しいと思ったお店に、私を連れてきたかったのね、と安堵する人もいるかもしれません。
とはいえ、そもそも、そういうことを彼に聞くことができない人もいるし、
彼が美味しいと思ったお店であっても、こんなところは嫌だ、と思う人もいるでしょう。
彼に「なぜこのお店なの?」と聞けないとき、
私たちは、最悪の事態を想定していたりします。
「だって、君とのデートなんて、どこでもいいと思ってさ。」なんて言う彼はほぼいないと思いますが、なんとなく私たちは、そんなふうに言われたら嫌だから、聞かないでおこうと思ったりするのかもしれません。
では、なぜそんなふうに最悪の事態を想定するのかというと、
それが自分には相応しいと、心のどこかで思っているから、と考えることもできるようです。
私はたいした女性じゃない。
だからきっと、私とのデートなんて大事じゃないんだ。
大事じゃないから、素敵なレストランに行こうなんていう考えもないから、定食屋なんだ。
私たちは、人が自分自身をどう評価しているのかを感じるように思いますが、
実は、私たち自身が、自分をどう評価しているのかによって、相手が自分をどう感じているのかを感じると言われています。(ややこしいですね・・)
つまり、あの人は私を大切に扱ってくれない、と思うとき、
実は自分を大切だと思っていないのは、自分自身かもしれないのです。
彼が「私を大切な女性として見てくれない。」と思うとき、
大切な女性として扱われるのに相応しくないと思っているのは、自分自身かもしれないのです。
自分自身を、大切に扱われるのに相応しい素敵な女性だ、という感覚があれば、
デートで彼が定食屋に連れていこうが、居酒屋だろうが、それはそれ。
きっとそのお店に彼が行きたい理由があるんだろうな、と思うのではないでしょうか。
デートで行くお店で、彼の愛情を量ろうとしないのです。
ということは、彼に大切にされているな~という安心感や愛情や幸せな気持ちを感じたいのであれば、自分はそれほど大切にされるのに相応しい女性なのだ、と思えるようになる必要があると言えるのかもしれません。
なぜ自分のことを、すばらしい女性で、大切に扱われるのに相応しい、と思えないのかを考えてみると、
だって今まで誰にもそんなふうに扱ってもらったことがないとか、
そもそも女らしくないから似合わないとか、
人にどう扱われたのかという経験とか、もともと持っている資質に考えが及ぶことがあります。
ところが、自分自身を大切な女性として扱われるのに相応しくないと思ってきたのだとしたら、かつて、(それは遠い昔かもしれませんが)自分の女性らしさを大切にしないことを「あなたが」決めたり、人として大事に扱われることを「あなたが」あきらめたりしたことがあるのかもしれません。
それは、そうすることで、あなたが誰かを救えると思ったからではないでしょうか?
男の子っぽくしたほうが、親が喜んだとか。
自分がどうしたいかより、お母さんの願いを叶えることばかり考えていたとか。
発言したくても、きょうだいたちに発言の機会を譲ってきたとか。
あなたの場合はいかがでしょうか。
もしかしたら、誰かを大切に扱いたいがために、自分のことを後回しにしてきたのかもしれませんが、
そうだとしたら、そんなあなたはとっても人を思いやれる愛情深い人なんです。
人のことを大切にするのは、すばらしいことなんです。
でも、同時に自分を大切にすることも、できるはず。
自分はどうでもいい、なんていう気持ちが少しでもあるとしたら、それは見直してみるといいかもしれませんよね。
ずっと置いてきぼりにしてきた、自分自身を大切にする気持ちを思い出していくことで、彼の言葉や態度が、あなたをじゃけんに扱ってるのではないことや、実は彼なりの愛情表現だということを感じられるようになっていくのではないでしょうか。