カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。
私は会社勤めをしているのですが、最近他部署の上司と仕事でやり取りをすることが頻繁にありまして、
多くはメールでのやり取りなんですが、
なぜかその人とメールをすると、カチンと頭に来ることが何度もあるんですね。
昨日は、朝から3回くらい頭に来ました。
その人からメールが届くとイヤ〜な気分になって、メールを開くのにもひと呼吸置いて、気持ちを落ち着かせてからでないと、読む気になれない状態でした。
私はなんでこの人とメールをするとカチンと来るんだろう、と、ずっと考えていたのですが、
その人がある言葉をよく使っていることに気付きました。
それは、
「ですから、私が聞きたかったのは・・・」
というものです。
特に文章の最初が「ですから」で始まると、私は「何度言えばお前は分かるんだ」と言われた気分になりました。
そして「私が聞きたかったのは」と言われると、「こちらの質問の意図をきちんと理解してくれよ、ダメだなお前は」と言われたように思いました。
「ですから」も、「私が聞きたかったのは」も、私がきちんと仕事ができていなくてダメだな、というように、私を責める言葉だと感じていたんですね。
嫌な気分にもなるというものです。
とはいえ文章全体では、私を責めているようではありませんでした。
それで私は、「そうか、これらの言葉は私を責める言葉なのではなく、単にこの人が質問したいときに常用している枕詞なのだな」と思い込むことで、この嫌な気分を乗り越えようとしました。
この人は悪気もなくこういうことを言う人なんだ、私を責めているわけじゃないんだ、そーだ、そーだ、と。
とはいえ、自分を責めているわけではないと思い込もうとしても、「ですから、、」と言われるとどうも気分がよくありません。
気を抜くと、またすぐにカチンと来ます。
どうしても責め口調に受け取ってしまうのです。
何か良い方法はないのかな〜と、私は仕事の手を止めて考えてみました。
そもそも「ですから、、」って始まる人は、何を思っているんだろう。
私がもし「ですから、、」って言いたいときがあるとしたら、どういうときなんだろう。
そして、ふと思い出したんですね。
子どもの頃、私がいたずらをしてもいないのに、母が「あなたがやったんでしょう」と言って、信じてくれなかったとき。私から出た言葉は、「だ〜か〜ら〜!」(丁寧に言うと「ですから!」)だったことを。
それは、お願いだから私のことを信じてよ、という心の叫びだったと思います。
そのようなことを考えていると、この上司は、もしかしたらいつも、自分のことを理解してもらっていないと感じているのではあるまいか?と思いました。
そして、私が「だ〜か〜ら〜!」と言っていたとき、一番欲しかったもの。それは、私のことを信じてくれて、「そうだよ、お前の言っていることは真実だよ」と言ってくれる味方でした。
そうか、この上司は、そんな味方がいない(と思っている)のかもしれない。
そしてもしそうなら、どんなに心細くてひとりぼっちなんだろうと。
私はその上司の「頼むから、自分を分かってくれよ」という心の叫びに耳を傾けてみたいと思いました。
そして私が味方になってみたら、どうなるんだろう、と興味が湧きました。
◇◇
そんなわけで、私はその上司にメールを返信するときに、私はあなたの味方ですけど何か?と思いながらメールをすることにしました。
何か分かってあげていないことはないかな、きちんと読み取ってあげていないことはないかな、と、どうやったらその人のもっと味方になってあげられるのだろうか、と、思ったんです。
メールを送ってしばらくすると、相手から返事が来ました。
今度はメールを開くのに嫌な思いがしませんでした。
メールを開くと、そこには、相変わらず「ですから」が多用されていました。
あたりまえです、相手は何も変わってはいません。
ところが、です。
カチンと来なかったんです。
私自身がその上司の味方になると決めたら、その人は私を責めるはずのない人になったからなのかもしれません。
自分の心が変わると、同じものを見ても、感じ方が変わるといいます。
「ですから」は、ただの口癖程度にしか感じなくなったのでした。
目次