赤ちゃんが欲しいと思っている方が、かわいらしい赤ちゃん連れのママを見て
いいなぁ、私もはやくママになりたい。と、誰もが夢をふくらませているわけではありません。
妊活が長引いてくると、赤ちゃんが授からない理由を考えたり、
年齢を考えると焦ったり、
あるいは辛い不妊治療の通院をしたり、
苦労せずに妊娠する人もいる一方で、自分はなぜ?という思いになるのは当然ではないでしょうか。
そのようなときに、赤ちゃん連れのママがベビーカーを押しながらすれ違ったとしたら、
自分には手に入れられない大切なものを手に入れ、さもその幸せを見せつけているかのように思っても仕方のないことです。
そのようなとき、妊活中の方はこんなふうに思うかもしれません。
私はいま赤ちゃんが欲しいし、ダンナさんのことも愛してる。妊娠したいという気持ちは、愛や幸せというあたたかでやわらかな良い感情であるはずなのに、赤ちゃん連れのママを見て苦々しく思うなんて、私って最低。
こんなふうに性格が悪いから赤ちゃんがやってきてくれないんじゃないか、なんて思うこともあるかもしれません。
突然ですが、たとえ話です。
あなたのお友達のひとりが、最近流行りの田舎暮らしを始めて、大きな一軒家を買ったとします。
一方都心に住んでいるあなた。
狭くて家賃の高いマンション暮らしは便利だけれど、本当はあなたには幼い頃からの夢があって、それは大きなお家でゆったりした空間を楽しんだり、
外国の大きな家具でセンスよくインテリアをまとめたり、庭には季節ごとのお花が咲くようにすることだったとします。
でも実際はご主人のお仕事の関係で都心から離れられない、という場合もありますよね。
ずっとずっと欲しくて欲しくてたまらないと思っていたもの。
それを友達がなんの問題もなく(実際に問題がないかは脇に置いておいて)手に入れたと知ったあなた。
表面上は「よかったね、おめでとう」と言えたとしても、心の中では何かが煮えくり返るような感じがするかもしれません。
人は、自分が欲しくて仕方のないものを持っている人、それも難なく手に入れたような人に対してイライラしたり怒りを感じるものです。
それは「私がこんなに欲しがっているって知っているくせに、自慢して!」と思うこともあるでしょうし、
「あなたはいいわよね。私は無理。だってあのダンナが!」と怒りの矛先がご主人に向かうことも。
それは、こんなに欲しいと思っている私がそれを手に入れられないなんて、私って本当に天から見放されているんだわ、という絶望、そしてそんな運命に身を置いている自分は、かわいそうな人間かもしれないという諦めかもしれません。
そしてそのような辛い感情を分かってほしいけれど誰にも理解されないと感じるとき、
人は怒りを感じるもののようなのです。
ですから、話は妊活に戻りますが、なかなか赤ちゃんが授からないときに、難なく(かどうかは分かりませんが)赤ちゃんを嬉しそうに連れているように見える人に対してイライラすることは、
それほどにあなたが赤ちゃんを欲しいと思っているという証拠であり、
ご自身を責める必要は全くないということなんですね。
では、妊活中はそういったイライラは仕方がないので耐えなければいけないのか、というと、そうとも限りません。
お友達が田舎の一軒家を買った例で考えてみますと、
あなたが欲しくて仕方のない田舎の一軒家。
それは今あなたは手にすることができません。
でも、この先もずっと手に入らないのでしょうか?
手に入る確率が0パーセントということは、ないかもしれません。
今は無理かもしれないけれど、将来的に持てるかもしれない、と気持ちを切り替えてみると、
そのために今のうちにやっておこうかなと思うことが浮かんでくるかもしれません。
赤ちゃんが欲しいと思って色々な努力をしているけれど、
実は心のどこかで、自分にはどう頑張っても手に入らないのではないかと思ってしまっていることもあるようです。
授かったらどうしようかな、というウキウキするような想像を膨らませることもいいかもしれません。
とはいえ、妊活とは年齢との闘いという場合もあり、もうそろそろ本当に無理かも、、、と思うこともあるかもしれません。
何らかの事情により、妊活そのものを諦めなければならないこともあるでしょう。
そのようなときに、赤ちゃんが産めない私は女として不適合だとか、子どものいない夫婦はうまく行くはずがないと思ってしまうこともあるかもしれません。
何かを欲しくて欲しくて仕方がないときというのは、それが手に入ったらどれだけ幸せになれるんだろう、と思っていますよね。
裏を返せば、それが手に入らない限り私は幸せにはなれないと信じていることもありえます。もちろん誰もがそうという意味ではありません。
田舎の一軒家が手に入らなくても、私には大好きなダンナ様、便利な駅近のマンション、近所に仲良しの友だち、行きつけの美味しいレストラン、そのほか数えきれない幸せがあることに、もう一度目を向けてみることも大切ではないでしょうか。
赤ちゃんのいる生活は何にも代えがたい幸せと喜びと充実感を手に入れられるものだと思います。
赤ちゃんがうちに来てくれたらどんなに素敵だろう。
そう思ったとしても、赤ちゃんが授からない限り幸せにはなれない、という思いを手放して、
今もしあわせ。
赤ちゃんが来てくれたら、また別の幸せかも。
くらいに思いながら、心とからだをリラックスさせて赤ちゃんを待ってあげてほしいのです。
妊活中の女性が苦しんでいることについて、自分は一生赤ちゃんを産めないんじゃないかと思ったり、赤ちゃんが授からない限り幸せではない、という間違った思いを手放すというお話をしてきました。
それは自分の心を整えるという意味において必要なことだと私は思っています。
ところが、そのような心持ちになってみようと思ったとしても、どうしても拭えない不安がつきまとうこともあるかもしれません。
それは「自分のことはどうにかできるけれど、そんな私のせいで不幸にしてしまう人がいる」という思いかもしれません。
大好きなダンナ様にかわいい赤ちゃんをプレゼントしてあげることができない。
いつも見守ってくれている両親やダンナ様のご両親、
はやく赤ちゃんができるといいね、と応援してくれている友だち。
みんなみんな、幸せにしてあげられない。笑顔にしてあげられない。
他人を敬い大切にしているあなたであるからこそ、その思いは強く、そしてあなたを苦しめるかもしれません。
あなたのそんな優しさは尊敬に値するし、誰かを幸せにしてあげたい気持ちは生涯持ち続ける意味があると私は思います。
しかし、少しだけ角度を変えて、見てみてほしいのです。
あなたを愛してくれるダンナ様、ご両親、お友達などが本当に望んでいることは何でしょうか。
あなたが赤ちゃんを産んで嬉しそうに抱っこしている姿でしょうか。
もちろんそれもあるでしょう。
でも彼らが本当に望んでいるもの。
それは、あなたが幸せである、ということではないかと私は思うのです。
赤ちゃんが授かればなお良し。でもどのような状況であっても、あなたが幸せであることこそが、彼らの幸せではないでしょうか。
あなたが彼らを幸せにしたいと思っているように、
彼らもあなたに幸せを願っている。
どちらも相手に幸せになってほしいという愛に満ちた世界がそこにはあります。
たとえなかなか妊活が進まなくても、赤ちゃんが授かることという一つの状況だけでなく、
もう一段上から物事を見てみると、あなたが彼らにしてあげられることはたくさんあるのではないでしょうか。
赤ちゃんが欲しい、でもなかなか授からないというときに、
妊娠することだけに焦点をあてたような、一極集中のすさまじい妊活の日々を過ごす方は多いかもしれません。
それはもはや苦しみと感じることも。
あなたが心穏やかにいられることは、あなた自身を、そしてあなたの周りの人を大切に扱うことであり、そしてまだ見ぬ赤ちゃんを迎える環境を整えるということにもつながるかもしれません。
どうかあなたが、心安らかな毎日と喜びにあふれた人生が送れますようにと、私は心から願ってやみません。
今日のブログは、30代後半から8年間不妊治療を続けた私の経験を思い出しながら書かせていただきました。
当時の私にこのブログを見せたら何と言うだろう。
そう想像してみると、きっと不機嫌そうに「ふんっ」と言うんじゃないかなと思いました。
「ふんっ、どうせ私の気持ちなんて分からないくせに。」
それだけ私はひとりで、孤独と不安に苦しみ、誰にもその心の内を見せられずにいました。
そんなふうにひとりぼっちだった私が誰かにしてほしかったこと、
それは、ただ話を聴いて、一緒に泣いてくれることだったかもしれません。
とはいえ、私は自分の話を聴いてなどと誰かにお願いすることもできませんでした。
人に相談するという発想すらなかったのです。
今もしひとりで悩んでいる方がいらしたら、どうか自分ひとりで何とかしようと思わないで、
誰かに相談するという選択肢も思い出してほしいなと思います。