先日、このコロナ禍ではありますが、夫の弟の結納がありまして。
夫の父はすでに他界しており、母は体調がすぐれず施設に入っているので、夫と私は親代わりということで結納に出席してきました。
弟の婚約者は弟より20歳も年下で、かつ外国籍ということで、いったいどんな結納になるんだろうと思いながら、夫と私は待ち合わせのシティホテルに向かいました。
待ち合わせの時間に日本料理店の個室に案内されると、弟と婚約者の二人はすでに到着していました。初めて会った婚約者の方に挨拶をしていると、すぐに先方のご両親も到着されました。
外国籍とはいえお父さんもお母さんも日本生まれ。もちろん日本語をふつうにお話しになります。
お互い立ったまま挨拶をし、まぁ座りましょうかと言いながらも、着席する前からお父さんが、ご家族やご親戚の皆さんの学歴やお仕事を紹介くださり、大変優秀な家系でいらっしゃることが分かりました。
一方、父親代わりとして出席している夫、そして夫の生まれ育った家族は、誰がどういう学校を出ているとか、どこに勤めて何の仕事をしているかなどに(私が見る限り)無頓着で、どうでもいいと思っているんじゃないかというようなところがあるのです。
なので、夫は先方のご両親に質問されない限り、自分から出身校だとか勤め先を話すことはありませんでした。
先方のお父さんは、夫の勤務先や仕事内容、さらには収入面など、事細かに質問されていましたが、ほとんど聞かれたこと以外自分たちのことも話さないし質問もしない夫を不思議に思ったのか、「何でも聞いてくださいね。」と何度もおっしゃっていました。
結局夫は、会話が途切れるとスポーツの話だとか、趣味の話をしていました。
その様子を見ていた私は、「娘をヨメにやるなら、出自がしっかりとした、収入も安定しているところでないといかん。」というように見える先方のお父さんと、「結婚して幸せになるかどうかは本人次第だから、まぁ外野は仲良くしておきましょう。」というように見える夫が対照的で面白いなぁと思っていました。
もちろんどちらかが正しいわけでもなく、両方正しいのだと思うのです。
どちらも結婚する二人が幸せになりますようにという願いは同じなのです。
私たちはつい、このような共通に持っている願いや祈りや愛をそっちのけで、もっと表面的に現れる事柄でお互いの違いを見つけては、「それは正しくない」などと思ったりします。
この結納に際しても、弟に、夫と私の二人で出席してほしいと言われてから、夫と私は家族の顔合わせにどういうスタンスで出席するかの作戦会議をしていました。
もともと口数の少ない夫は、無口な大黒柱的なポジションを取ろうとして「オレはしゃべらないから、結納ではあちらのご両親と君がしゃべってよ」と私に言い、「いつもカウンセリングでしゃべっているんだからおしゃべりが得意でしょ」とまで言われて、
その、人に押し付けている感じが気にくわないと、「何を言ってるのよ。あなたの弟なんだから、あなたがしゃべりなさいよ!」と私が言ったことで、ものわかれしていたのでした。
そもそも私たち自身が正式な結納をせずに結婚したこともあり、結納の場でどんな会話がふさわしいのかもわからず、不安もあって、お互いに先方のご両親と話すのは気が重いなどと思っていたのでした。
ところが、あちらのご両親と弟と婚約者の方を目の前にしたら、しゃべるのが夫か私か、などというのはどうでもよくて、記憶に残る良い結納になることを、そしてそこに居る全員が幸せな気持ちでいられることを、夫も私もただ願っていることに気づいたのでした。
結局夫も無口な大黒柱にはならず、彼なりにフレンドリーにおしゃべりし、私も「あなたの弟でしょ」的な態度はせず、あたたかな場になるように、先方のお母さんと女同士の話に花を咲かせていました。
結納で何を話すべきか、誰が発言すべきか、などという形式的なことではなくて、これから結婚する二人が幸せでありますようにという全員の願いを感じながら、そのときに自分ができることをすれば、それでいいんだな、などと思った時間でした。
どのような場であれ、そこにいるみんなの願いをキャッチしようとすれば、愛の立ち位置からブレずにいられるのかもしれません。