不定期配信のコラム【あの一言】。
ドラマや映画などから、わたくし帆南がピンときたひと言について、心理の視点を織り交ぜてつぶやきます。
普段、とても穏やかな人であったとしても、ちょっとしたことがきっかけで気分が落ちたり、自分でコントロールできないくらいにイライラしてしまったりすることがありますよね。
そんな様子を、ドラマ「対岸の家事」の中で表現されていたのがこれ。
「みんな、自分が持ってないものの話になると、冷静じゃなくなるんだよ」。
キャンプに行ったら、その場に不相応な超高級腕時計をちらつかせている人がいたりすると、「なにあれ?」「なんか、おかしくない?」なんて思うことは、誰にでもありますよね。
自分は望んでも手に入れることができなかったあたたかい家族や優しいお母さん。なのに、当たり前のように無邪気に家族団らんの話をする人が目の前にいると、イラっとしたり。
悪気はないんだろうけれど、しょっちゅう海外旅行に行っておみやげを買ってきてくれるご近所さん。
自分が持っていないものの話になると、冷静じゃなくなり・・・ますよね。
自分が持っていないものの話になると冷静じゃなくなる理由を、心理の観点から解説するならば、
そんな私(=持つことのできない私)について、自分で自分を責めているから、といえると思うのです。
高級腕時計を購入できるほどの収入がない自分は甲斐性がない、とか
家族に恵まれてこなかった私は、神様に見捨てられたのかもな、とか
海外旅行に行かれるほどお金も時間も精神的な余裕もない自分は、世の中の劣等生だ、とか。。
そんなふうに持つことのできない自分を責めていると、持っている人の話になるとイラっとするのですね。
つまり、自分を責めていなければ、高級腕時計をしている人がいようが、家族団らんの話を嬉しそうにする人がいようが、世界一周や宇宙旅行を楽しんだ人が目の前で自慢話をしようが、イライラせず、冷静に「ふ~ん、そうなのかぁ」と話しを聞くことができると思うのです。
言葉で言うのは簡単ですけど、そもそも「自分を責めている」のも無意識のうちにやっていることだとしたら、自分を責めるのをやめることって、とても難しいことですよね。
私も、自分が自分を責めていたときと、責めなくなったときの大きな違いを感じることがあります。
それは、赤ちゃんをつれたお母さんを目の前にしたとき。
かつて不妊治療をして、望んでも望んでも子どもが授からず、こんな私は女としてなんの価値もない、いや、ひとりの人間として生きてる意味がない、などと自分を責めていたころ、
赤ちゃんをつれたお母さんを電車の中やスーパーなどで見かけると、それはそれは冷静ではいられませんでした。
あちらはただ、赤ちゃんを連れているだけのことなのに、
それを見た私は、その方が赤ちゃんを産んだことを自慢しているように見え、産めない私をばかにしているように感じて、ただただ目をそらすしか、できなかったのです。
あれからもうずいぶん時間もたちましたけど、その間、心理学をまなび、自分の心と向き合ってきました。子どもを持つことができなかったのは残念だけど、子どもを持てなかったことで、私という人間の価値が下がるわけでもないことを心の底から納得できたのです。
子どもを持てなかった私のことを、自分で責めなくなったんですね。
そうしたら、赤ちゃん連れのお母さんを見かけても、最近ではただ、「赤ちゃん、かわいいな」としか思わないんですよね。
みんな、自分が持ってないものの話になると、冷静じゃなくなる。
もし私の大切な人が、イライラしたり冷静じゃなくなったりしたときに、「あぁ、この人はこれが本当は欲しかったけど、手に入れられなかったから悲しいんだな、苦しいんだな」と理解してあげられたらいいな、なんて思うのです。
「なによ、イライラしちゃってさ」「不機嫌をまき散らさないでよ」なんて思ってしまいがちなんだけど、人が冷静じゃなくなるには、その裏にちゃんとした理由があるということを知っておくと、相手の悲しみに寄り添える人間になれそうな気がしませんか?
そんなふうに、そばにいてくれる人をもっと大切にする方法を教えてくれる、素敵なひと言だと思いました。